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一般投稿欄

9/16 土方副長様

2006/09/17 ロム3

 真摯なご返信ありがとうございました。

>確かに、ロム3殿の指摘される通り、「生産力の変化によって、世の中の仕組みが変わってくる」という史的唯物論的に考えるならば、高度に発展した資本主義国でしか革命は起こりえないはずです。史的唯物論的には、レーニンの革命は成立しないはずなのに、レーニン主義が幅をきかせてしまった。考えさせられますね。

 ここが弁証法による振り子理論の振り子たる所以だと思います。
 当時は世界は、植民地の奪い合いの戦いをしていました。日本も明治政府が樹立されたばかりの頃から、植民地を得ようと虎視眈々としていました。征韓論あり、日清戦争あり、日露戦争あり、日韓併合ありで、だんだん大陸に侵略の手をのばして行きました。
 レーニンの革命が起きたのはそんな頃です。ヨーロッパでは、第一次大戦のさなかでした。戦争に反対するロシア国民が労働者を大切にするレーニンを支持したのだと思います。
 しかし、レーニンは、理想家すぎたのではないでしょうか。芽生え始めた資本主義まで倒してしまった。行過ぎた革命だったと、私は思います。

 行過ぎたものは、いずれ、振り子が元にもどして、妥当な線をこえて、さらに行き過ぎた資本主義になってしまいます。それが現代ではないでしょうか。2極分化がはげしくて、若者や、弱者を生きにくくしています。しかし、この行き過ぎもいづれまた、元に戻るときがくると思います。そうやって社会が発展してゆくのが、弁証法だと思います。

>ロム3殿は、「40年ぐらい前の日本共産党では、史的唯物論を学んでいた」とおっしゃいますが、現在でも、党や勤労教では、「物の見方、考え方」という、哲学的な勉強をしております。
ただ、不破氏の教祖化が進行するとともに、党の独習指定文献などが(マルエン、レーニンの本から不破本へと)変化していったように、思われます。

 不破氏を教祖化した組織はもはや、政治組織というよりは、宗教組織だと思います。誰やらが投稿していましたが、今の政権は、自公ではなく、自公共だと言っておられましたが、私も全く同感です。共産党は野党を装った与党かも知れませんね。

>私は、いつから哲学が省みられなくなったのか存じませんが、イデオロギーが先行する官僚的で人間味のない党というイメージは、不破氏によってつくられたということでしょうか。

 日本共産党の創立したそもそもがスターリンのソビエトの影響下 でしたから、創立当初から誤りがあったと思います。人間味があったら、レーニンのような人間味のない革命は遂行できない。「あの人は、いかにも共産党員らしいね。」と、いわれる人は、人間味のないことを平気で出来る人でした。人間味のある人は、永久に下っ端の党員ですから、私の周りはそんな人間味のある人々がいまでもいます。彼らは、講師試験は絶対に受からないし、科学的社会主義もよくわからない。唯物史観も持ってはいません。ただ、ひたすら新聞を配達し、集金をして、ビラ配りをして、区会議員についてまわり、現状の政治の不満を訴えています。

 ご質問の不破氏は、他人の意見を聞かない意地っ張りな人だと私は感じています。彼が書記局長になったころから、人民大学では史的唯物論を教えなくなりました。要するに唯物史観を捨てて、革命論だけにしてしまったのだと思います。
 私に言わせれば、現実に迎合したために、捨てるものを間違えたのだと思います。捨てるべきは、レーニンの革命論で、残すべきは、唯物史観であったと思います。
 おそらくその頃から、人間性を求める人は、後ろ髪をひかれつつ徐々に日本共産党を去って行ったと思います。

>さて、本論に移ります。
 仮に、史的唯物論(あるいは唯物論)が正しいとしても、「唯物論者」が正しいとは限らないのではないでしょうか。「科学の目」を得意とする不破氏を例にとりますと、彼は理論的に正しいといえるでしょうか。彼の理論の変遷ぶりと党の私物化ぶりは「イタイ」といわざるを得ません。にもかかわらず、党内では、党中央独裁体制=不破独裁体制がとられています。

 唯物論は、日本共産党の専売特許ではないと思います。現実の世界は、唯物論で動いていると思います。ホリエモンが金がすべてだ と言って、批判を買いましたが、金、イコール物を象徴しています。彼の論理は、唯物論だと思います。物もいろいろ形を変えて行きます。今では、情報も物の一種ではないかと思います。
 情報がいまでは、一番貴重なものだと思います。一昔前は日本では土地が重要なものでしたが、それだって正しい情報がなかったので、大損をした人々がいっぱい出て、それを銀行が助けてそれを国が助けて、日本の経済は、めちゃくちゃになりました。
 何時の日か、人間性が一番大切といわれる時がくることを私は望んでいます。

>そして、党員を信者とする道具として、以下の三段論法がとられていると思われるのです。
  唯物論は、正しい
 ↓
 (唯物論を理解している)唯物論者は、正しい
 ↓
  党中央の構成員は唯物論者である
 ↓
  よって、党中央は、正しい

 逆の三段論法もあると思います。党中央が主張する理論は正しい。よって、党中央は正しい。正しい党中央に従え。

>その「正しい」党中央に、無条件で盲従することを強いるのが、党内独裁を容認する「民主集中制」であるわけです。

>唯物史観を問題にしたのは不正確であり、若干、訂正と補足をいたします。唯物史観を問題にしたいというよりも、(唯物論を理解している、とりわけ党中央の)唯物論者は「科学の目」を持っており、間違えないがごとき幻想を党員に植え付ける、洗脳の手段として用いられていることが問題なのです。

 それはかならずしも中央が悪いのではなく、何でも中央の言うことを鵜呑みにする党員の体質が悪いと思います。意外と党員は他力本願の甘ったれが多いのではと思います。

>「正しい」党中央に、無条件で盲従することを強いることを、正当化するためのレトリックとして、「唯物論」  (唯物論者)や「科学」というレトリックが用いられているからです。

 現在の日本共産党に唯物論や、科学が存在しているとは、思えませんが、むしろ、精神論に占拠されているように思えます。

>そういう意味において、「唯物史観」が、党中央を物神化させ、党員を信者とする道具として用いられている現状では、党内独裁を容認する「民主集中制」とともに、多様な価値観や人権を尊重する社会を守る観点から、これらを批判していかねばならないと考えているわけです。

 党中央の非民主的体質と、唯物論とは、無縁のものです。
 唯物史観を捨てたが故に非民主的になったのだと私は考えます。