先ほど風遊人さんに異論を簡単に投稿しましたが、風遊
人さんは維新を下層武士と上層武士の権力闘争であったといい
ます。では勝ったほうの下層武士が権力を握ったとして維新の
あとに武士階級が解体したというのは論理的にあわないのです
。あなたが風遊人さんの意見を「ほぼ?」「完全だ」というな
らば明治に武士階級が支配したことになるが歴史上にそのよう
な記述があるのでしょうか。ほぼという言葉は不完全を意味し
そのあとにくる完全という言葉は完全だから文法上のおかしい
のじゃないですか。不完全な完全ですか。
私は基本的に江戸時代の末期には商業資本が各藩の財政を圧
迫し、藩大名は権力を握っているがその支配は形骸化していた
のではないかと思います。だから勤皇の志士たちの背景にブル
ジョアジーがあったのだと思うのです。だがブルジョアジーが
農民や市民を味方にして幕府を倒すほどの力はまだなかった。
一方黒船が来て開国を英米に迫られ列強の植民地支配の危機が
あった。そこに武士階級の動揺があり下級武士たちの決起が現
れてブルジョアジーはそれを利用したのではなかったか。
だが形骸化したとはいえ徳川三百年の支配の歴史がある。坂
本竜馬たちがともかく維新を立ち上げるために天皇を利用する
ことに決めた、それが倒幕イテキから尊王倒幕へとスローガン
を変えた理由だと思います。すでに長州征伐に失敗した幕府は
その威信も形骸化していることを思い知り、しかもそれまで無
視されていた天皇を盾にされるならば、征夷大将軍徳川の大義
名分がなくなり、名実共に権力の頂点に位置することができな
くなったので降伏したのではないでしょうか。
だが維新革命の不完全さは地主制度が残されたことです。農
民は小作制度で年貢をとられていたという面では封建制の名残
が残っていたのは事実です。だがそれでも農民たちは封建時代
のように離農する権利がなかったのではなく、身分的には自由
になり階級分化し、多くは労働者階級になって農村から離れて
いったのではないだろうか。資本は労働力を必要としていたし
農民の自由が必要であった。すでに農業においても封建制度は
崩れていたのが維新以降ではないだろうか。したがって天皇は
封建的遺構ではなく、新生日本帝国主義のイデオロギーの支柱
として、あるいは補完物として引き出されたのではないでしょ
うか。基本的にブルジョア民主主義革命は明治維新において成
し遂げられたと私が主張するのはそういう次第です。つまり権
力闘争を革命と呼ぶのではなく階級支配の移行を革命と呼ぶの
でしょう。あなたの考えではクーデターと革命の混同が見られ
ます。まるであなたと風遊人さんは双子のロッテのようです。
同じところで間違い同じところで一致します。
さてあなた方の言う人民民主主義革命とはどのような革命で
しょうか。説明してください。階級的観点抜きの民主主義は空
語でしょう。そのため人民とは一体どのような階級か、お聞き
したいと思います。
ざっとした私の意見で資料なしですので若干の間違いがある
かと思いますがごめんなさい。