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一般投稿欄

土方副長様(史的唯物論について)

2006/09/20 風来坊 50代 自営業

 貴方と私の史的唯物論に対する確信の捉え方がどうも違 うような気がします。

 人類の経済史においては、労働する者と生産手 段との関係が根本的に変化するにつれて、その都度、他の全て の方向、つまり、経済的、政治的、精神的生活もまた根本的に 変化し、それに伴って全く新たな社会が発生するということで 充分である。
 社会の経済的生活のすべてこれらの方向の間には、確かに間 断のない相互作用が成り立っている。生産手段に対する労働力 の関係が、分業、生産物の分配、交換に影響を与えるだけでな く、後者もまた前者の生産関係に反作用するものである。(略)
 しかしながらこれらのものの形態は、労働力と生産手段との 関係が疲れてきて、この関係に或る根本的変革、明白な革命が 起った場合に初めて変化するのである。このように、労働力と 生産手段との関係におけるその場合場合の変革は、経済史の途 上に誰にも分かる大きな路程票を形づくっているのであって、 この変革は人類社会の経済的道標における自然的時代を画する ものである。
 (ローザ・ルクセンブルグ 経済学入門 四経済史における 資本階級の見地と労働階級の見地)
 社会主義の科学的基礎づけは資本主義発展の三 つの結果に基づくものである。つまりなによりも
まず、資本主義の死滅を不可避的結果にする資本主義経済の増 大する無政府性に、
第二には未来の社会制度の実際的な萌芽を作り出す生産過程の 社会化の進展に
第三には迫りくる革命の積極的要因をなす成長しつつある組織 と階級意識に基づくものである。
 これがベルンシュタインの捨て去った科学的社会主義のいわ ゆる柱石の第一のものである。(略)
 科学的社会主義の立場からすると、社会主義革命の歴史的必 然性はなによりままず、資本主義を抜け道のない袋小路に追い 込むその増大する無政府性の内に立ち現れるものだ。ベルンシ ュタインとともに資本主義発展はそれ自身の死滅の方向に向か っていないという事を容認したとすると、社会主義は客観的必 然的存在であることをやめる。
(ローザ・ルクセンブルグ 社会改良か革命か)

 史的唯物論に確信を持つということは、生産力と生産関 係が歴史を作ってきたということ、資本主義制度の死滅を上記 の三つの要因に基づくものだということに確信を持つこと、そ れだけで十分だと思います。
 しかし、もし、それさえも否定するならば、共産主義運動そ のものの存在価値を否定することになるのではないでしょうか 。
 史的唯物論が、党中央を物神化させ、党員を信者とさせる道 具という見解は理解できません。
 最後に民主集中制と史的唯物論の位置付けは、歴史的成り立 ちも、内容も全く別の事だと思います。