科学と哲学の関係を論じれば際限なく広がると思いますが、少なくとも現在の状況の下では、哲学は科学ではないと言い切ることは、錆付いたイデオロギーであるマルクス・レーニン主義から意識を開放するのに有効であると私も歓迎します。土方副長さん、ロムさん、百花繚乱さん達も同じようなことを考えておられるようです。旧ブント系の荒たいすけ、その他、若いマルス主義系の哲学者も共通した傾向が見られ、心強い思いです。
しかし私にはもう一つ気になることがあるので、個人的な経験を少し話させて下さい。私のイデオロギー呪縛に最初に亀裂が入ったのは、1956年の「スターリン批判」でした。その衝撃は正に「目から鱗」でした。それから我々がやったことは「党内民主主義」の回復でした。準中央委員クラスの幹部を呼びつけて、つるし上げに近い激論を闘わしました。その時も中央の防御は「民主集中制」でしたが、もはやそんなお題目は我々の耳には入りませんでした。60年安保闘争という政治的激動が目前に迫っていたからです。レーニン主義の党では分派は最悪の反党行為と決め付ける党中央(我々はこれを代々木派と呼んでいた。)のお達しなどどこ吹く風で、せっせと分派をつくり、大衆行動の組織に夢中でした。スターリンを否定して、とりあえず我々が飛びついたのはトロッキーでした。中央は待ってましたばかりに我々にトロッキストのレッテルを貼りましたが、この古びたレッテルは極左の称号らしいというだけで、神社のお札ほどの値打ちも感じられませんでした。トロッキーの文献はスターリンの実態や、レーニン自身が権力掌握後に分派を禁止する以前には、活発な分派・u毆)活動を繰り広げていたボリシェビキの実態など、我々には初めての史実を提供してくれました。だからといって我々はトロッキーに心酔したという感覚は全くありませんでした。安保闘争の高揚期、我々は日々の政治状況を自分達で確認し、日々の行動戦術を自分達で組み立てねばならなかったからです。中央地方の党組織は我々には全く無関係でした。赤旗など見る気もしませんせした。
60年ア安保闘争の経過はご存知の通りです。我々は敗北し、仲間はばらばらになりました。
この体験から私なりに得た教訓は、組織内闘争の場合、指導部は組織の規則を盾に取り、反対派は組織内民主主義を唱え、論争の自由を主張する。そして多数派は規則を武器にして反対派を排除する。この定型的パターンは郵政選挙での自民党でも同じことで、執行部は抵抗勢力を規則を盾に排除し、抵抗勢力はファッショだと喚く始末です。
我々のスターリン批判は当初党内民主主義の主張に始まり、やがてそれは路線の違いとなって現れ、組織の分裂を恐れず、独自行動の展開となった訳です。組織内民主主義の主張の底には必ず政治路線の違いがあり、それは民主主義的体制が実現しようがしまいが、必ず表面化し路線闘争となる訳であり、弾圧、排除を伴う例に事欠かないのはご存知も通りです。
党内民主主義を戦うならば、本質的な政治路線の違いを前面に出して活発な論争を展開して多数派を獲得すべきです。敗北したら、規則(民主集中制?)に従って多数派の路線に従うか、それとも組織の外に出て、独自の路線で闘いを展開すべきではないでしょうか。そして判定は国民大衆が下してくれるはずです。多数派には民主主義がないから、死滅するだろう、敗北するだろうと考えるのは安易だと思います。スターリンは多数派を獲得し、少数派を弾圧し、排除して独裁政権を作り、半世紀以上に亙って、一大帝国を形成しました。北朝鮮の金王朝も二代目になり、瀕死の状態でも未だ粘っている始末です。この場合は歴史の判決を待つことになります。
私は、このさざ波通信に集う人達も、又共産党員の人達も政治のことを真面目に考え、平和を願う人々であると確信しています。しかしさざ波通信は共産党の党内民主主義にこだわり過ぎているような気がしてならないのです。憲法改定闘争の決戦が近づいています。果たして共産党の「民主化」は間に合うのでしょうか。 (75歳の一老人より。)