最初に、管理者に方々へ。共産主義者以外の議論の場を提供いただき感謝の気持をお伝えします。
未来社会について考えます。未来社会は”社会主義社会”に反対します。共産党的には社会主義社会と共産主義社会を同じ概念で見たいるようです。いずれにしても反対です。人間が人間を管理する社会に反対だからです。百花繚乱さんの言われた、”社会主義的社会”は論議の有る所です。
私は未来社会を自治社会と社団的社会をイメージします。管理ではなく、調整ををイメージします。価値観(哲学、宗教、倫理観を含め)の自由は認められねば成らないと思います。しかし、相互に押付けや強制はしては成らない筈です。政治には、民主性が基本です。生活の基礎には、個々人が認め合った倫理観が是非必要でしょう。
経済論的価値観には反対です。経済の重要性を無力化する方向に持って行くべきです。経済重視は拝金主義を引起します。他の価値観を膨らませる方向へ行くべきです。
マルクスの時代、レーニンの時代の革命論を現代的視点で論じ、善悪を決定する事は無意味です。科学的歴史観で見るべきです。科学に善悪は有りません。科学的歴史観は重要です。未来を決める、指針とも成り得ます。歴史を哲学的指針で見ることに反対です。未来社会を混乱と失望とをもたらします。
現状に不満でも民主的基礎的努力以外に解決策は無いと思います。例えば、階級闘争論以外は無いと、言い張っても、世界と言う社会で、どれだけの理解を得られるでしょうか。さざ波の小さな社会でなら、多くの理解者が有るかも知れません。論理は普遍性を持たなければ、多くの人々の賛同は得られません。人類史の向かう普遍性は、どこに有るかを、常に見つめて行かねば成りません。
労働者階級が執権する社会では、対立は無くなるとは考えられません。社会主義社会での管理者(官僚)は、管理機構の肥大化や、情報の独占化を図っている事は、現代社会では歴然としています。現代では、経済的格差と共に、情報、教育の問題が、未来社会に対する影響について、次第に明らかになってきました。さらに、価値観の重要性は徐々に、重要性が増して来る筈です。未来社会をイメージする際に、見落としては成らない事柄です。
経済システムを変革する事は、容易な事では有りません。アメリカはグローバル化を推し進めようとしているように見えます。ECは地域的安定を模索しているように見えます。日本一国では、経済システムを仕切る事は、難しい事です。しかし、部分的調整は可能でしょう。それは、社会保障制度ですし、再チャレンジの為の教育システムです。
山の中の養老院なぞ、御免蒙りたいです。町の中心で、沢山の人とふれあいたいものです。学校、病院、老人施設、行政施設等、町の中心に設けるべきではないでしょうか。子供や若い人達は、勤めてお年寄りと接する機会を作るべきではないでしょうか。大事な社会勉強に成ると思います。書物を読む何倍かの勉強になる筈です。
日本には古代からつずく自治組織が在りました。幸いな事に、日本の支配者は、個々人を支配したのではなく、自治組織を支配して来ました。戦前、戦後は行政の下請的自治組織に成っています。そうです。自治会です。私はこれを発展できないかと考えています。こここそ、民主制の原点です。労働組合のあり方は、一つの社団のあり方を示しているように思います。また、NPO,NGOの在り方についても同じ事がいえます。
最後に、一つの事に夢中になれる人に敬意をささげます。多分、全ての問題に夢中になれるはずです。真剣になれる筈です。柔軟になれる筈です。