9/4Forza Giappone青年さんへ、概ね同感です。と同時に、管理者の方々の寛大さに感謝いたします。私は哲学(哲学、宗教、倫理観を含み)を主張する自由は保証されるべきだと思います。しかし強制する自由は、無いと思っています。近代経済学と言われる学問の中には、哲学的内容を含んだものも有るようです。多くは統計経済学的見地を持ち、確率論は、科学的論理と相性がよく、有益だと考えます。(複雑系の天気予報と似ています。)
風遊人さんへ、各人の意見(哲学)が異なってもいい筈ですね。互いに其れを認め合う事で、共同する事が重要です。同感です。
ロム3さんへ、有難う御座います。”唯物史観という、科学"的"思考方法で”。理屈を言います。観念論、唯物論の区別は哲学的です。科学的視点に立ってみると、意味の有る分類とは思えません。観念論にしても、唯物論にしても、認識論的哲学です。科学には認識論的要素はありません。唯物史観は、人類史を”その様に認識する”事から始まります。根拠は有りますか。
エンゲルスは、アメリカ大陸の原住民(イロクオイ族)を調査したモルガン「古代社会」と西洋史からヒントをえて書いたものでしょう。シナ文明は例外でしょうか。中東文明は?人間文化の発展は、地球上の位置に規定されています。文化の交流にも影響されます。砂漠では自立した経済は成り立ちにくいでしょう。交易が発展した理由でも有ります。それにしても何故、生産関係、経済が、人間社会の土台なのでしょう。私も人類にとって経済的問題が、重要である事は理解できます。重要であっても生活の中では部分です。マルクスの時代と現代とを引き比べればよく解るはずです。現代では、マルクスの時代には無かった、環境問題や、人権の問題、福祉の問題、等々浮かび上がってきました。労働者階級が天下を取ったら、全ての問題は解決するでしょうか。むしろ、社会主義(共産主義)社会の社会管理から生じた問題、生産性の低下、官僚制の問題、人権不感症、闘争性、等々の中から、矛盾が吹き出てきました。闘争性の中から生み出された、民主集中制と関連して、哲学ゆえに(実証性は無い)多くの分派を生み出し、権力闘争を生み、反対者の粛清を必要悪と考え・u毆)ているのでしょうか。マルクス経済学を、ひねくりまわしても、解決方法は見つかりません。ロム3さん、御免なさい。私は、哲学から生まれでた科学を、哲学的知識体系から自立すべし、と言う点に、基本を置いています。哲学と科学を明確に区別することです。
スカンジナビアンさんへ、”北欧型社会民主主義的改革改良しか..”管理主義には賛成できませんが、政策では概ね賛成できるでしょう。しかし、問題もあります。例をあげます。9/3朝鮮日報(日本語版)の社説に面白い記事がありました。--上海復旦大学何喜有教授は本誌インタビュウで「韓国は未だ成長に重点を置くべきなのに、その逆に進んでいる。中国もかって平等な社会を実現しょうとしたが、結果として、生産性が低下して、効率性の低い社会に転落してしまった」ーー韓国の経済を中国の学者が心配していると言う記事でした。韓国の現状は、大衆運動としての労働組合運動としてより、一部組合幹部が中心となって、階級闘争をしているように見えます。2~3年GDPが低落気味である事を、社会主義中国の学者が、平等性を追求し過ぎると、経済的発展が阻害される事を心配している事が面白いところです。公平な分配と経済の拡大の矛盾を言っています。克服出来るとは思いますが問題です。特に、市場経済のルールを変革する事は、一国では難しいかも。方法はある筈です。社会主義と言う言葉に拘ります。管理社会・u毆)です。社会民主主義の意味に迷っています。
銀河さんへ、労働者の勝利で、何が解決して、何が解決しませんか。現代社会では、特に日本では、階級闘争ではなく、改革、改革の積み上げがより良いのでは。もし宜しければ、階級闘争についての御議論をお聞かせください。