こんにちは。
昔あったことを、綴りたくなり、投稿しました。
官僚主義は身近でも起きていたのではないかという問題意識と共に。
僕は、昔、ある大学で自治会の執行委員をしていました。
その中で、党員の人々が、活動に参加しない人を「日和っている」と罵っている場面に何度も出くわしました。
僕も彼らと活動する中で、こういうことがありました。
例えば、体調が悪くて休んでいても、電話がかかってきて、「何、考えているの!」と恫喝される。
電話しなかった自分も悪かったと思います。
しかし、体調が悪いのが、虚言であるかのごとくの言い方。
それ以来、強迫意識のもとに参加していた気がしています。
「日和っている」と言うこと自体、聞く耳を持たない態度というか、官僚主義というか。
「組織は人なり」と言いますが、まさしく「将棋の駒扱い」です。
党専従の人たちが、民青同盟の同盟員の人々を「青年」とひとくくりにして言うのに対して、違和感を感じるのは、僕だけでしょうか?
官僚主義の行き着く先は、人権侵害であります。
天皇制について、まともな論議がなされないまま、法制度上認め、秋篠宮の第三子である悠仁さんに「お祝いの言葉」を送る。
北朝鮮問題にしても、「拉致問題」は決して許されることのない人権侵害であるが、1910年からの植民地支配に対する総括が何もなされていない(「村山談話」や「河野官房長官の談話」は総括ではない)にもかかわらず、そのことを党として要求しない。
そして、極めつけは安倍総理大臣の訪中、訪韓を褒めちぎっているようにしか聞こえない、笠井衆議院議員、井上参議院議員の予算委員会での質問。
たしか、経済制裁は「戦争状態」では、なかったか?
話が飛躍しすぎました。
野坂参三さんの問題、市川正一元参議院議員の問題、筆坂秀世さんの問題も事実であれば、大問題です。
しかし、科学的社会主義の理論を基礎とする共産党が、「彼らの認識は変わる」という、彼らに対する信頼を持とうとしないからこそ、筆坂秀世さんは共産党から身を退いたのだと思います。
やめた人に対して「転落者」などという誹謗や中傷は、明らかに人権侵害ではないか?
僕の周りにも、党員としての発言とは、ほど遠い人間がいます。
私は、精神的な疾患で辞めた無党派の職員のことを施設長と労組の委員長が、「あいつは創価学会員だったんじゃないか?」と言っていたのを聞いて、身の毛のよだつ思いをしました。
これは、元職員に対する人権侵害であり、創価学会員に対する人権侵害であります。
こんなことは、あってはならない。
そして、党員である僕は、どうすればいいのか…?
これでは、ただのグチですね。
「さざ波通信」があるのは、一つの救いです。