歴史は右にゆれ、左にゆれしながら、弁証法的に発展し
てゆく。
昔は生産力の発展が緩やかだったので、振り子のゆれ方もゆ
るやかだった。親の常識を受け継いでも、子供の生活は成り立
ったし、家訓などというのも、役に立った。
今は、生産力が飛躍的に増大したので、振り子のゆれ方もす
さまじい。昨日の常識は、もう今日の常識ではなくなっている
。親の常識内で暮らしていては、たちまちニートになってしま
う。
もはや、人類は、人間同士の対決から、自然との対決に向か
わざるをえない状況に突入している。と、いうことに異を唱え
る人は少ないだろうと思う。
現代の人々は、大きく自然にそむいた生活をしている。その
つけは、莫大なエネルギーとなって、地球上にたまっている。
オゾンホールもその証であり、台風の巨大化もその証であるそ
うだ。
私の子供の頃は、暖房と言えば、火鉢しかなかった。夜は湯
たんぽとか、豆炭の入ったコタツくらいのものだった。
よほど寒い地域では、薪ストーブとか、石炭ストーブを使っ
ていたであろうが、関東以西では、やぐらコタツぐらいがいい
ほうだったと思う。
夏はと言えば、うちわか扇子くらいしか、涼をとる手段がな
かった。氷もアイスクリームも庶民には高根の花だった。
扇風機などという代物は、事業所でなければ、お目にかかれ
なかった。
電気は定額制を選択すると、朝になると街燈のようにすーと
消えた。商店の大晦日では、電気が消えるまでが年越しの勝負
だと言われていた。電気が消えたら新年なので、借金とりも仕
事をやめなければいけないしきたりのようだった。
昼間はラジオも、蓄音機も、電気アイロンも使えなくて、炭
の入ったアイロンなどが使われていた。洋服はほとんど綿なの
で、洗濯しても、アイロンもろくに掛けず、しわくちゃのまま
で、帽子もしわくちゃ、洗濯やにだしたか、出さないかが、人
目でわかった。
昭和24,5年頃私の勤め先の事務所に姉から電話がかかっ てきた。当時女工をやっていた私はおずおずと事務所に入れて 貰ったが、生まれて初めて受話器にさわるので、受話器のどち らを耳に当てたらいいのかわからず、どぎまぎして、逆さに持 ってしまった。事務所の人たちが笑いながら教えてくれたけど 。真っ赤になってあがりきっていた。「一度も電話にさわった ことがない。」と、姉に話したことが 元で、姉が用もないのに勤め先の電話を使って掛けてきたので ある。
こんな原始的な生活を体験している私でさえ、昔の暮らしに
もどるのはまっぴらである。地球が悲鳴を上げているのに、日
々エネルギーの浪費をして自然に逆らって生きている。
人間が自然を征服するか、自然が人間を滅亡させるか、壮大
な戦いのさなかではあるまいかと思う。
21世紀には是が非でも、無公害のエネルギーを開発しなけ
れば、人類は滅亡するしかないと思う。
そんな壮大な戦いが、また、歴史の振り子を右に左に動かし
ていると思う。ソビエトを中心とした、左の時代から、アメリ
カを中心とした右の時代に歴史は動いてきたが、そろそろ右に
振れすぎた振り子は、左に揺れ戻す、修正をはじめるのではな
いかと思う。
北朝鮮の核実験に触発されて日本も・・・という意見にブー
イングが出ている。日本は非核を守り、9条を守って非戦の国
であることが世界の人にも望まれていると思う。
日本は技術最先端の国として経済大国を目指せばいいのだ。
戦争を考えなければかくも豊になるのだということを示さねば
ならない。
行過ぎた資本主義を修正する動きが、ロシアや、中国にも出
ていると思う。日本でもホリエモンや村上氏のような行過ぎた
マネタリストは、打ちのめされた。
歴史の振り子がどちらを向いて動いているか、それを感知す
ることは個人的には、成功につながる。歴史の振り子に抵抗す
ると、苦労の多い人生を歩まねばならない。
戦争も歴史の振り子に抵抗することから始まるのではないか
と思う。これまでの人類の歴史は、戦争の歴史だった。戦争を
やっていれば、改革、開発が遅れて文明の進化も遅れる。
皮相的に考えればそのことが地球の破壊を遅らせていたかも
知れない。第二次大戦が終わってから、急速に地球の破壊が始
まったのは、平和の代償であるかも知れない。
しかし、いまや、人類は歴史の転換点に立っていると思う。
地球を破壊する側から、地球を修復する側に立たねばならない
。歴史の振り子はいやおうなしにそちらにゆれて行くだろう。
新エネルギーの開発、それが焦眉の急である。そちらに向かっ
た政党が生き残って行くだろう。
階級闘争などという考え方は、古いと思う。そこから抜け出
さないと日本共産党の明日はないと思う。
なぜなら、今や、日本共産党を支えているのは、豊かな階層
なのだから、当選しもしない候補者の選挙に惜しげもなくカン
パできるゆとりのある階層の人々なのだから。