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一般投稿欄

党員用討論欄土方副長様

2006/10/28 風来坊 50代 自営業

 あなたの不破氏は現代の貴族か2で「ソ連の核保有.ソ連 の核実験に賛成して「原水禁運動」を分裂させておきながら、 「相手が一方的な見解を押し付けたから分裂した」となどとい う全くサカサマ・イカサマの論理を展開しているのが、わが党 中央であります。」と書いています。
 多分、この根拠は第八回原水禁世界大会の時のソ連の核実験 に抗議を採択しなかったことを指すと思います。
 しかしこれと原水禁運動が原水協と原水禁に分裂した原因と この問題とは関係ありません。

原水禁の主張は
1いかなる国の核実験にも反対する。
2部分的核実験停止条約支持
 この二つがスローガンを「基本原則」にしなければ共同でき ないというものだった。

 以下の原水禁運動に対する当時の共産党の論文に対するあな たの意見をお願いします。

 あなたがたのわが党に対する不当な攻撃と干渉 は、昨年七月にあなたがたが、従来の立場を投げすてて米英両 国政府と部分核停条約を結び、わが党があなたがたのこうした 無原則的な方向転換に無批判的に追従しないことがあきらかに なって以後、とくにはげしさをくわえてきました。ここで多く の事実のなかから、両党会談までの時期におけるとくに主要な 点だけをあげることにします。
(1)まず第一にあげなければならないのは、あなたがたが、原 水禁運動などで、わが党を攻撃し大衆運動を分裂させ破壊する ために活動している右翼社会民主主義者や反党修正主義者と提 携して、わが国の平和運動、民主運動の統一を破壊する一連の 活動をおこなってきたことです。
 ここ数年来、社会党や総評の一部の右翼指導者や反党修正主 義者が、「分裂」をもっておどかしながら、アメリカ帝国主義 の核戦争政策との対決を回避する日和見主義の方針を原水禁運 動におしつけるために懸命になっていたことは、あなたがたも 十分に知っているとおりです。実際、一昨年の第八回原水禁世 界大会では、あなたがたの代表団は、圧倒的多数の日本代表お よび外国代表団と同じ側にたってこの分裂策動とたたかい、と もに原水禁運動の統一と正しい路線をまもりました。
 昨年の第九回原水禁世界大会もまた、右翼社会民主主義者や 反党修正主義者たちの同じような分裂策動に直面しました。と ころが、第九回原水禁世界大会に参加するために訪日したゲ・ ジューコフ同志を団長とするソ連平和委員会代表団の人びとは 、分裂主義者の策謀にたいして断固とした態度をとらず、逆に 、これらの分裂主義者に呼応して、世界大会の統一の利益に反 するような活動をおこなったのです。すなわちソ連代表団は、 この大会を世界大会ではなく日本大会にすることなどを主張し て、もともとこのような陰謀をたくらんでいた一部の右翼社会 民主主義者の策謀を激励し、さらにわが党から除名され、分裂 策謀の一翼をになっていた前野良や勝部元などの反党修正主義 者とひそかな会談さえおこないました。
 ジューコフ同志を団長とするソ連代表団は部分核停条約支持 を第九回原水爆禁止世界大会に押しつけようとしましたが、成 功しませんでした。大会終了後、ジューコフ同志が日本共産党 中央委員会を訪問したさい、わが党の野坂議長は、部分核停条 約の問題などについて、われわれはあなたがたと意見がちがう が、来るべき両党会談で討論しようと提案しました。ジューコ フ同志はそれに賛成しました。
 ところがジューコフ同志はそれから二週間後の八月二十五日 付「プラウダ」に論文「広島の声」を発表して、部分核停条約 を支持しなかったという理由などで、みずからその決議に賛成 した第九回原水禁世界大会を批判すると同時に、わが党を名ざ しで攻撃し、部分核停条約を支持したという理由で分裂主義者 たちの「分裂」集会を積極的に評価する態度を表明しました。
 つづいて、これらの分裂主義者たちが、日本原水協に対抗す る分裂組織をつくりだす目的で、「関西平和大会」(1963年9月30 日)、「全般的軍縮と平和のための日本大会」(1964年1月30,31 日)などの分裂集会を開催した時、ソ連平和委員会や全ソ労働 組合評議会などは、それが分裂主義の路線にそった集会である ことを十二分に承知のうえで、これらの集会を支持するメッセ ージを送りました。これらの行動が原水禁運動の分裂策動に おいて国際的提携をはかるものであったことは、今日ではすで にだれの目にも明らかになっています。
 さらにおどろくべきことは、原水禁運動において分裂主義者 と協力し、わが党を攻撃するという自分たちのかく乱活動を合 理化するために、あなたがたが、あなたがたもその責任の一部 をになってきた原水禁運動の歴史さえ、乱暴に書きかえはじめ ていることです。
 たとえば、第九回原水禁世界大会におけるソ連代表団のこう した活動に先立って、1963年8月1日付「プラウダ」は、前プラ ウダ特派員ラティシェフ同志の論文「広島は平和擁護闘争をよ びかけている」を発表しました。これは前年1962年の第八回原 水禁世界大会について、中国代表の「分裂主義路線」が原水禁 運動の統一を破壊したかのように事態をえがきだして、第八回 世界大会から脱落し、しかもこれを暴力で破壊しようとさえく わだてた反共分裂主義者や反党修正主義者を免罪し、第九回原 水禁世界大会をめざすかれらの分裂策謀を激励する役割をはた すものでした。
 ラティシェフ同志は、その論文で、つぎのように書いていま す。
「平和擁護者たちが昨年の第八回原水爆禁止世界大会で論争の やむなきにいたったいくつかの困難と意見の対立は、中国代表 たちが平和のためのたたかいという、もっとも切実な問題につ いて教条主義的かつ非論理的な態度をとった事実に起因するも のであった。中国の代表者たちは、分裂的路線にしたがって、 大会の席上でアジア、アフリカ諸国の代表団グループを他のす べての代表団に対立させることに努力を傾注したのだ・・・・ 」
 ラティシェフ同志は、第八回原水禁世界大会の当時、プラウ ダ特派員として日本に駐在しており、ソ連核実験への抗議を要 求してこの大会を混乱させたのが右翼社会民主主義者と総評右 翼指導者に指揮された一にぎりの日本の分裂主義者であったこ とを目撃したはずです。
 この大会を混乱させたのが日本の分裂主義者であったことは 、事態を客観的にみるものはだれも否定できない厳然たる事実 でしたから、ミーチン同志を団長とするソ連代表団も、大会終 了直後に発表した声明で、つぎのようにのべました。
 「社会党の総評の指導部が世界大会終了後に、大会の混乱の 原因は一部外国代表の圧力によるものであったと声明したこと についても一言いわなければなりません。これは事実をゆがめ るものです。外国代表は、大会でおきた混乱を克服するために 協力の用意があることを示しました。大会の結果が示したよう に、大部分の外国代表団の見解は、日本の平和活動家が大会で 代表していた圧倒的多数の代表の意見と完全に一致していたの でした。」
このソ連代表団の声明と、一年後にラティシェフ同志の名前 で発表された論文とでは、まるで手のひらをかえすようなすり かえがおこなわれていますが、あなたがたはこれをどう説明す るのでしょうか。このことは、わが党や中国の同志たちを攻撃 するためには、また部分核停条約を支持しているという理由で 分裂主義者を激励するためには、あなたがたが、あえて歴史的 事実を書きかえることさえいとわないことを、証拠だてていま す。 (ソ連共産党中央委員会の書簡にたいする日本共産党中央委員 会の返書)

 第八回原水禁世界大会、第九回原水禁世界大会における「意 見の相違する問題については、その評価を決めず、当面の一致 する闘争課題に基づいて統一と団結を守る」というこのときの 共産党の方針は問題がなかったと思う。
 また、このときの原水協と原水禁の分裂の問題において、ソ 連共産党及びソ連共産党盲従分子の部分核停条約支持の押し付 けが重大な影響を与えたことは無視できないのではないか。
 ところで「いかなる国の核実験にも反対する」というスロー ガンどのような意味を持っているのだろうか。このスローガン はそれまでの原水禁運動の共通の認識だった「すべての核実験 と核兵器禁止」のすり替えのために持ち出されたスローガンだ った。そしてこのスローガンは、核実験だけを問題視し、初め はソ連の核実験に、次に中国、そしてその後新たな核実験を行 なう国が出現するたびにそれに反対するだけの役割しか果たさ ず、核保有国の核開発から目をそらし、それを野放しにし合法 化する結果しかもたらさなかったのではないか。
 「部分核実験停止条約支持」というスローガンも、「全面的 核実験停止」を要求してきたそれまでの主張を投げ捨て、アメ リカが、進めて来た小・中型兵器開発の地下核実験を合法化す る役割しか果たさず、核兵器開発の歯止めには全くならなかっ た。この時、部分核停条約を支持した人達が主張した「核軍縮 の第一歩」、「平和への一歩」、「平和政策の勝利」は全く空 虚なものだったことは、説明の必要はないだろう。
 核拡散防止条約も、何ら核軍縮のための役割を果たさず、核 保有国の核独占を合法化するための不平等条約にすぎない。

 部分核停止条約を巡る原水協と原水禁の分裂の問題では、「 社会主義国」の核は防衛的だなどという、その後の歴史を考え れば一部不適当な認識もあったと思いますが、「いかなる国の 核実験にも反対する」「部分核停条約支持」などに対する共産 党の主張には大きな誤りはなかったと思います。

 しかし、これに対し、1984年の分裂固定化の責任は、共産党 の側にあると思います。 この点に関しては団旗自粛という些細なことのために分裂を固 定化させたこと。また、大衆闘争の役員の行なった交渉での合 意を反故にしたこと、そして、そのうえ交渉を行なった人を処 分したことの二重の意味で誤っていると断じざるをえません。 だいたい、他の団体との交渉はお互いに妥協はつきもので、そ れが気に入らないからとそれを反故にされたり、処分されたの では、他の団体との交渉などできっこありません。

 この問題についてはは2005年8月14日のKM生さんの「党員欄 頑固者さんへ。原水禁分裂固定化の責任は誰にあるか」、と私 の2006年7月28日の「新日和見主義事件について(評論家批判に ついて)」の最後の方を見てください。