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館長雇い止め・バックラッシュ裁判 原告本人尋問

2006/10/31 さとうしゅういち 30代 社会市民連合幹事長・広島瀬戸内新聞経済部長(連合系労組組合員)

 大阪豊中市の男女共同参画推進センター「すてっぷ」の全国公募の非常勤館長だった三井マリ子さんが、復古勢力(筆者的には保守でさえない)の攻撃に遭い、最初は守ってくれた市側も態度を変化させ、2003年度末で解雇されたとして、とよなか男女共同参画推進財団と市を訴えている「館長雇止めバックラッシュ裁判」の原告本人尋問が、大阪地裁大法廷で30日、ありました。

 原告・被告のこれまでの主張および裁判の経過は以下をご参照 ください。
http://www.janjan.jp/area/0605/0605234886/1.php
http://www.janjan.jp/government/0607/0607087526/1.php
http://www.janjan.jp/area/0610/0610032132/1.php
http://www.janjan.jp/area/0610/0610102556/1.php

 まず、原告側代理人から尋問がありました。三井さんが、社会 人になって以来、国際文化会館時代、高校教諭時代などを通じ 、男女差別の現実を痛感し、EUの男女平等政策などを研究して きたこと。そういうなかから、インターネットとFAXで見つけ た「すてっぷ」初代館長の全国公募を、男女共同参画基本法で 自治体の責務が盛り込まれていることもあり、やりがいのある 仕事として感じたということ。

 また、被告が、三井さんは看板で、財団の知名度を上げるのに 必要だったが、それがすんだので体制を変更したなどとしてい ることについては、裁判になってから初めて聞いたことで、採 用のときには言われず、面接の雰囲気などから、当然契約も更 新されるものと思っていたということです。

 長期的に成果が上がってこその館長だったからという主張には 頷かされました。

 そして、2002年4月にはすてっぷのそばにアパートを借り てそこに住んでおり、石にしがみついても4-5年はがんばろ うと思っていたということです。

 そして、三井さんが常勤は無理だ、とアプリオリに決め付けた 市の対応についても、「非常勤は経済的に厳しい、常勤だった らいいに決まっている」と、いうこと。

 そして、三井さんが館長時代、「看板」などとは程遠く、内容 を工夫して自ら陣頭に立って中学生から社会人、お年寄りにい たるまでの男女共同参画教育に取り組んだこと、市民との交流 を重視したこと、などから、三井さんが並々ならぬやりがいを 感じていたことは十分伝わってきました。そして、また、他の すてっぷの有期雇用社員については、「雇い止め」はなかった ということです。

 その後は、復古勢力による攻撃について、三井さんが苦闘され たことが証言され、あまりのひどさに、(中高は男子校、男性 の圧倒的多数の大学出身のせいか、自分でも意識は保守的だと 痛感している)私でさえも、胸が痛みました。ひどいのは、2 003年8月ころ、「三井さんが、『専業主婦は能力がないか ら専業主婦だ』と言った」という噂が、市会副議長を震源地に 起きており、これは「すてっぷ」の存立にかかわることなのに 、市は組織的対応をしなかったということです。

 三井さん一人を見殺しにしたともいえる市の対応に私は腸が煮 えくり返りました。おかげで、原告は「議会で問題とされた」 と雑誌で紹介されましたが、その情報源・北川悟司議員は、議 会で男女共同参画条例にことごとく反対の意見を述べながら、 最後賛成したと言う不可解な行動をとった人です。

 また、組織体制の見直し問題については、2003年6月9日の 会議で、資料は配られたが、別にそのときは、非常勤館長廃止 などどこにもなく、館長の常勤化案だったので、自分の身分が あやゆくなる恐れなど感じていなかったと証言しました。

 その後も、同年11月8日に部長に非常勤館長から常勤館長へ の組織体制変更について告げられた後も、山本事務局長からは 「第一義的には三井さんです」と言われたわけです(これは山 本さんも認めている)。部長からは、体制の変更は、「トップ の意向」と言われたと言うことです。このときは、情勢の悪化 から不安を持ったが、山本さんの発言でほっとしたということ です。

 前後しますが、夏ごろに、唐突に、常勤館長はどうかと、家族 のことを話す雑談のときに山本さんから言われたが、「無理ね 」といったのは、深く考えないで軽い気持ちだったと言うこと です。

 また、11月ころも、FAX事件(2002年に復古勢力の攻撃 について、山本さんが理事らにFAX送信したのが漏れて、逆切 れした北川議員が2003年11月12日に部長に怒鳴り こみ、その後、三井さんを糾弾した事件)や、事業を抱えてい て、大変だったと言うこと。

 その後、年末に、今度は、館長をなくして事務局長+課長の体 制にする案が出てくると、三井さんは自分の排除につながると 不安になり、副理事長に相談したが、「それはおかしいですね。

 僕は館長の常勤化としか聞いてない。使い分けてますね」と言 われた。つまり、市は副理事長にさえ本当のことは言えなかっ たということです。

 その後、年明け後、1月24日に、非常勤館長を常勤館長に変 更する組織体制変更の議案が理事会に出ることがわかったので 、27日に、常勤館長を務めたいという意見を出したと言うこ とです。被告は、「三井さんが議案に賛成したので、退陣に同 意した」と決めつけたがっています。が、そうではなく、「常 勤館長に応募すれば、理事の良識で、合格できる」と考えてい たそうです。議案については、組織体制強化案だけしかあげず 、三井さんの人事を含む職員人事変更案については、会議にか けられず、懇話会で話し合ったということです。強化案に賛成 しただけなのです。

 選考試験については、「本郷部長が選考委員にいて驚いた」 といいます。「選考委員は極秘、言わないで」と言われていた と言うことです。

 そして、三井さんは不合格。その後、後任となった桂さんか ら「えー?三井さんも面接受けたのですか?」と驚かれたとい うことです。

 三井さんは、最後に、「情報が来ない中、身分が危うくなる ことに、恐怖感を覚えた。」と回想。「山本事務局長が裏切っ たこと、そして、全国公募してまで館長を選んでも、非常勤だ から使い捨てにされたこと、こんな理不尽をやめさせたい、バ ックラッシュに負けたくない、」と訴えました。

 迫力欠く被告側尋問

 被告側の反対尋問は、割合、迫力は欠けていました。形式的な 質問が繰り返されました。

 応募条件に、有期(2000年9月から2001年3月31日 )だと書いてあるではないか?という趣旨の質問。これは、し かし、常識で考えてわざわざ公募した館長を半年そこらで解雇 するはずがないので、ナンセンスな質問です。

 また、開所式にはたしかに三井さんの席はなかったが、その 後、市民参加で企画したイベントでのオープニングには派手に 出席できたではないか?という質問。これは、最終的には、「 開所式」は、あくまで、市が箱物を立てたことを祝ったもので 、中身を担う三井さんは関係ないからいいじゃないか、という ことを認める結果になります。市の異常な箱物偏向振りをはか らずも暴露しました。

 また、三井さんは看板だったから、知名度が上がったらもう 用済みだという市の論理を補強するために、三井さんが有名だ ったことを象徴する10何年も前の記事を引っ張り出しての質問 は笑えました。まったく、三井さんを貶めるために、わざと持 ち上げるというわけのわからない技を使おうとして、自分でも がいているようでした。三井さんが「仕事の中身」でも熱心だ ったことを否定するものでは毛頭ないからです。

 予算も組合交渉もしていないではないか、だから管理機能を 果たしていない、などという質問もナンセンスです。三井さん は、それ以上に、対外的に多くの仕事をこなしていたのです。

 あくまで山本さんとは役割分担です。

 そのほかにも、三井さんの出勤スケジュールが不規則だとか、 日曜日が多いとか、質問のための質問としか思えないものが繰 り返され、うんざりしました。

 常勤は可能だったか?という質問もナンセンスです。もし、そ れがわかっているなら、当然、常勤のために、環境を整備する ことは、普通の社会人だったら当然できることです。

 トップの意向がと本郷部長に言われたとき、どうして部長に文 句を言わなかったのか?という質問もおかしいと思いました。 三井さんも「了承はしておらず、聞き置くことを了承しただけ であとは理事会で議論」と考えたと答えたのは当然です。そん なに簡単に、YESともNOとも答えられる問題ではありません。 まして山本さんが「第一義的には三井さん」と言われればなお さらです。

 度重なる、似たような質問に対して、三井さんの答えは結局「 非常勤でも常勤でも、ここ、「すてっぷ」で働き続けたかった 」という趣旨で一貫していました。しまいに、被告代理人が「 採用されなかったら納得できなっただろう」と言う三井さんに 「採用選考に落ちたら問題にするつもりか」などと言い出し たので、裁判長も、代理人を注意せざるを得なくなる始末でし た。大体、三井さんが訴えたのは、選考に落ちたからというよ りも、それが茶番で後任の桂さんさえもだました中で行われた ふざけたものだったからではありませんか?

 また、蔵書を北川議員が廃棄しろといったのを、一応市がはね つけたので、市は蔵書ではバックラッシュに屈していない(だ から三井さん問題でも屈していないといいたいのだろう)とい う質問も笑えました。勝手に市の税金を注ぎ込んだ物品を役人 が廃棄したら、犯罪です。

 最後に、最終尋問(原告側)では、先の記事でも報じた、会議 録の改ざんは、三井さんも了承していたと主張する被告側(山 本さん)陳述に対して、改ざん予定の原稿に「市と調整中」と 書かれていたことが明らかにされました。そんなことを三井さ んが知るわけはありません。被告側のほうがお粗末だったと思 われます。

 今回の尋問で、三井さんが一人で、バックラッシュと戦わざる を得ない状態に追い込まれたこと。そして、ついに自分の身ま で、情報もない中で危うくなっていく状況が克明にわかりまし た。聞いていて、いたたまれなくなりました。

 そして「トップの意向」とは何なのか?疑念はつきません。

 やはり、この重大な事件の解明のためには、市長、現館長の尋 問は必要と感じました。

 今回の公判では、二人の採用の必要性は審議されず、次回の12 月26日(月)に先延ばしされました。みなさんから、引き続き 裁判長への要請をお願いします。

 以下は私の今回の感じたことを歌にしました。

●よく耐えた 孤軍奮闘心打つ できることならわれ代わりばや
●よく耐えた バックラッシュに市の裏切り 人権の志士に惜しめぬ拍手
●ゆるすまじ 民の味方を切捨てし 人権文化部 看板倒れ
●人々の 真の味方の マリ子さん ヒロシマの心で支えねば
(男女共同参画という政策目標に忠実だった三井さんは忠実なpublic servantだった)
●ゆるすまじ 人の絆を 切り刻む バックラッシュに 弱腰幹部
●裏切りの 真相はまだ 闇の中 渇望されぬ 2人の尋問
(注,ぬは否定ではなく文語の完了形)
●澄み渡る 原告の声 法廷に 正しきことより 強きものなし
(被告高橋さんは蚊のなくような声だったが原告三井さんは威風堂々の答弁だった)

 次回の公判は12月26日。一色貞輝前豊中市長と桂容子現すてっぷ館長を証人として招くかどうかが、その場で決まり ます。