「近代民主主義とその展望」は予想していたよりも客観的に書かれていて、ま
た知的興奮に満ちて大変面白い書物でした。普通民主主義という言葉はdemocracyの
訳語として使われるのですが、民主主義=democracyではなく、広範な民衆による支配
をさす広義な意味で捉えているのはかなり斬新だと思います。
しかし、ロベスピエールによる独裁恐怖政治も民主主義で朴正煕軍事独裁も民主主
義、ソビエトの一党独裁制も民主主義というのは諸手を挙げて賛成できるような内容
ではありません。一般的に「民主主義」と言う言葉はもっぱらdemocracyの訳語とし
て使われており、democracyの意味は私が何度も書き込んだ内容です。福田歓一氏自
身も、この本の中で
ここで使っております近代民主主義という言葉の用法は、おそらく普通に使われる 場合とはたいへん違うだろうと思います。(中略)そういう用法はふとうだという講 義や批判が当然出てくるでありましょう。
と書いています。(「近代民主主義とその展望」終章1歴史的展望への要求より)
一般的な用法を用いて使った私に対し、特殊な使い方をしている(しかも特殊な使 い方ということを著者も自覚している)本をもってして「もう少し勉強しろ」と言う のはどういう意味でしょうか?まことさんは「近代民主主義とその展望」を本当に読 んだのでしょうか?もし仮にこの一文を見落としていたとしても、他に民主主義に関 する本を読んでいたら似たような話がいくらでも出てくると思いますが。
しかも、まこと氏は私の投稿もろくに読んでいない気がしますが。もし読んでいた ら
>氏の所論を突詰めると、少数野党である日本共産党が国会で議席を有していること には何らの政治的意義も無いことになるかと思いますが、いかがでしょう。
こんな発言がでてくるはずも無いですから。私は「人権擁護法案」の例を挙げたで
はないですか。国会とは話し合いの場である、話合いで解決すればそれが一番いい、
実際、人権擁護法案は共産党の弁論によって廃案になった(部外者Uさんはそれは自
民党の一部議員によるものとしていますが、私は「両方」だと思います)。しかし、
話し合いで決まらなかったら仕方が無いから多数決、これが民主主義です。(民主主
義という言い方が気に入らないなら、これがdemocracyです)。
あくまで言論には言論で対抗するべきです。自分の意見が通らないからとクーデター
を起こして反対意見者を片っ端から死刑にして無理矢理独裁政権を押し立てたボリシェ
ビキを「近代~」ではそれも民主主義といっていますが、まことさんもたぶん同じ意
見なのでしょうが、私は断固として「そんなものは民主主義ではない」と主張します。
部外者Uさんにしても、PINKOさんにしても、おそらく「理想の政治とは社民党によ
る一党独裁であり、それが本当の正しい民主主義である」みたいな考え方なのでしょ
うけど、それは大きな間違いです。民主主義において、「本当に正しい」という概念
は無く、「票を多く取った意見を正しいとする」のであって、「正しいから票を多く
もらえる」のではありません。民衆は馬鹿だから自分に投票しないだけで自分は絶対
正義だから言論の場である国会においても「審議拒否」という非言論、非民主的手段
を使っても良い!という考え方は、民主主義とは一番かけ離れた考え方です。
で、「自分の支持政党が与党の際に抵抗戦術で可決を阻止された場合はやむを得な
いのであり、妥協するか次の国会での成立を期すべき」という意見ですが、そんなこ
とを言っているから社会党は完全に崩壊するまで一回も政権を取れなかったのです。
少なくても自民党が社会党と同じレベルなら、自民党は下野しても社会党案に賛成せ
ずに反対しまくるに決まっているから、何も可決することはできません。社会党がき
ちんと公約を出し、「社会党が政権奪取したときには何があろうとこの法案を通しこ
の悪法を廃止する!」と言っておけば数回は政権がとれたはずです。民主党も同様で
す。凶暴罪のときも、「民主党は断固として民主党案に反対する!」とかわけの分か
らないことを言っていましたが、あれで納得するのは相当知能が足りないもののみ、
少なくても国民の過半数は超えないでしょう。(念のため言っておきますが、私は凶
暴罪を成立させるべきといっているのではありませんよ)
>正々堂々審議に応じて反対を主張するというのは、一見正当なようですが、審議が 進めば採決で負けるのが決まっている今の国会の仕組みでは、採決=成立に力を貸す のと同じ意味になる場合が多いのです
とのことですが、採決で負けるに決まっているというのは、自党の言論に説得力がな いと認めるということですか?自党の言論に自信があるのなら、そしてその法案が悪 法なら、審議が進めば法案の欠陥がどんどん明らかになり、勝つに決まっていると考 えるのが普通だと思うのですが。もし、「その法案は悪法だが大部分の人はそれに賛 成するだろう」と考えているのなら、民主主義の原理から言えばその法案が悪法でな いと認めたことになります。
>また、与党側は近頃国会での審議時間のことを持ち出し、国会で十分に議論が尽く されたから採決をするんだという戦法をとることがあります。対案が出ていたり、修 正案が出ていたりすればそのことについても議論が必要だから個別案件ごとに議論の 時間が違うのは当然という当たり前のことを与党側は理解しているとは思えません。
そう思うのだったら、「~の場合は~だけ審議時間を延長できる対案が出ている場 合は~できる」などという法案を提出するべきではないですか?実際民主党や社民党 がやっていることは対案出しておいてその対案を与党側が飲むとなると一転してそん なのが通るわけない!とい意味不明なことをのたまい出すだけですが。野党の仕事は 与党の足を引っ張ることじゃないんです。与党より上だということを国民に見せ付け て、次の与党になることなんです。