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一般投稿欄

人生は重き荷を背負いて遠き道を歩むが如し

2006/11/02 ロム3

 「人生は重き荷を背負いて遠き道を歩むが如し」というような言葉を徳川家康が言ったとか聞いたことがある。後年「狸親父」と言われた家康も若い頃は、人質に取られたり、信長、秀吉に仕えたりしてさまざまな苦労をしたことだろう。
 昔の人は、「人生とは、耐え忍ぶもの」と、あきらめていた。

 私も子供の頃は、そう思っていた。親にあれが欲しいとか、ああして欲しい、こうして欲しいなど言ったことがない。姉たちを見習っていると、この家では、自分の要望などは言ってはいけないものだと思っていた。親が与えてくれるものは、食にしても、衣にしても、そのほかの日常の扱いは、決して満足の行くものではなかった。
 だから、いろいろなも物にあこがれても心の中で満たされたことを空想して、がまんしていた。時には、神様にこうしてくださいとか頼んでいた。
 そんな生活の中でも、かすかな希望はあった。私が大人になったらバリバリ働いていろんなものを買おうとか、親を楽にしてあげようとか思い描いていた。そんなかすかな希望があったから、戦中のつらい子供時代も生きてこれた。

 今の世の中の子供たちには、そんな希望もないのだろうか。自殺してゆく人たちには、きっと希望がないのだと思う。
 私が子供のころ、または青年期に欲しいと思っても手に入らなかったものは、60年たった今、ほとんど簡単に手に入るようになった。今はあのころから考えると王様になったような心持だ。
 こんなに幸せな老後が待っていようとは思いもしなかった。一部には望みがかないすぎて困った現象も起きている。たとえば、「牡丹餅を腹いっぱい食べたいな」なんという欲望は、身体が太ってしまうので、目の前に置かれても食べるわけにゆかない。「和服を着てみたい」という欲望も、若い時には、切ない望みであったが、今ではめんどくさくて真っ平だと思う。
 現代のホームレス以下の生活から、普通の生活に近づいただけなのにこの喜びようである。それでも住宅に関しては、まだ不満がないわけではない。古いし、寒いし、日はあたらないし、バリアフリーではない。流行の薄型テレビは買いたくても置き場がないし、と、数えればきりがないが、どうせじきに老人ホームにはいるだろうから、いい老人ホームを見つけることが切実な願いだ。

 私の幸せ感は、時代のせいだと思う。出発点が戦争中というもっとも不孝な時代だったのに、時代がだんだんと豊かな方向に動いてきたから、絶えず希望をもって生きてこれたと思う。これが逆だったらやりきれないと思う。
 今の若い人々は、逆の現象で悩ませられているのではないだろうか?バブルがはじけていい生活から、悪い生活にすべりおちたのでは・・・
 希望がもてない。その上いつまで辛抱すればよいという保障もない。ワーキング・プアの人達は、昔、われわれが戦時下で味わった出口のない苦痛と絶望を味わっているのではないだろうか?
 低開発時代には、絶望した人々は、宗教に走った。「死んだら極楽に行ける」という、極楽思想で現世の苦悩を切り抜けた。アラブの人々の自爆思想もきっと同じだろうと思う。

 私の40歳代、50歳代はつらかった。収入の半分は、家の取得費にあてなければならないので、年収300万円足らずのなかで、半分しか生活費にあてられなかった。昼食は、いつも会社の食堂でまずい70円のラーメンを食べた。300円の定食や500円の特別定食は、横目で見ているだけだった。それでも体力を使う仕事ではなかったし、可なり自分の裁量でさぼりの効く仕事だったので、体をこわさずにすんだ。
 朝6時には起き、7時には、家を出て、人目もはばからす、電車の中やバスでウトウトと眠りこけた。帰りは共産党の仕事をこなしながら帰るので、8時、9時に帰宅した。夢のない生活の連続だったが、ただ一つ、55歳になったら年金がもらえるというのが、光明だった。そんな光明があったから、共産党にも年10万円以上のお金を貢いでいた。

 今のワーキング・プアに光明はあるのだろうか?それがとても心配に思えてならない。
 希望があれば自殺者は減ると思う。重い荷を背負っても、いつかはその荷を降ろして山の頂上のすがすがしい空気がいっぱい吸えるという希望がなくてはならない。「あきらめだけが人生よ」では、北朝鮮の国民と同じだ。
 あきらめ、あきらめ、を重ねた上に、戦火にさらされて逃げまどったのが、われわれ戦時下の人間だった。今もそんな低開発地域の人々がいると思うと心が痛む。私は満州の地でソ連がせめてきた日には、安全カミソリで、頚動脈を切って自殺するシーンを想定した。戦に負けたら玉砕。というのが、当時の常識的意識だった。でも、いろいろな幸運の下で栄養失調で死に掛けながらも日本に帰ってきた。
 途中で拾った料理の本を毎日眺めて、日本に帰ったら、こんな料理を作ろうねと姉と話し合っていたが、その日本に帰りついたら、サツマイモも満足に食べられないような食料難だった。真実を知らずに夢があったから帰ってこれたという面もなくはない。夢は本当に大切だと思う。
 戦後の2,3年は、ハイパーインフレの時代で、とても苦しかった。戦争中の方がまだましという状態もあった。将来安定した生活が得られるなどとは、思ってもいなかった。中学の先生が、将来は学歴が大切になるから、高校に行くようにと、言っても耳にははいらなかった。一日も早く働き出したいと思っていた。

 今のフリーターたちも同じ思いだろう。将来どういう社会になるかを予測して話しあう必要があると思う。既成の労働組合にたよらず、自分たちの力で、組合を作って行くようにしなければ駄目だとおもう。フリーターのままでもいいから、フリーターの待遇がよくなればいいと思う。
 日本のいままでは、国家資本主義的な要素があった。会社は誰のものというとき、会社は、経営者を含めて、労働者のものだった。日本もれっきとした社会主義的社会なのであった。それが破綻して、本来の資本主義に戻ったので、まさにマルクスの時代に先祖帰りしたのである。
 今は、会社は、株主のものと言われ始めてきた。村上氏のように株主の利益を大声で訴える人もでてきたのである。それにたいして 労働者の権利を訴える声は弱い。的のはずれた意見が多いのではないかと思う。
 左翼の政治家が実態を良く把握して訴えれば効果はあると思うのだが・・・・
 今は、労働者と政党が遊離しているように思う。