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論理性をもって安全保障について

2006/12/1 灯台守 60代 自営業

 人と人が話をする場合、言葉は重要な意味を持ちます。日本語のみしか話せない私は、英語でまくし立てられたのでは、話し合いの輪には入れません。言い換えれば、日本語の中にも、自分では言葉の概念が明々白々であると考えているものでも、実はその内容が曖昧なものが良くあります。大雑把に保守勢力と言っても、その保守勢力の中には、天皇制が基本的に無ければならないとか、資本主義(市場制経済)が基本であれば良いとか、資本主義でも平等性が追求される必要がある、財の再配分は必要であるとか、其の他色々有ると思います。注意深く人の意見を聞いて見ないとそう言う事柄は見えてきません。

 革新勢力という概念も同じ事が言えます。共和主義者と言うのは、革新に分類しますか、保守でしようか。選挙結果で、保守が何パーセント、革新が何パーセント、無党派が何パーセントと、論じても、私は話の輪の中には入っていけません。私には、未来社会を作っていくには、どのような目的でどのような政策が必要かが問題です。その為にこの様な政党が必要と有れば、それにも賛成です。目的に誤りのある政党には、反対をせざるを得ません。

 当面(現在理想が提示されていません)、格差社会が進行しないような施策に組します。労働組合の正当な運動の高まりにも賛成します。当然、再チャレンジの可能な社会(安倍晋三の掲げる政策課題)にも賛成です。年金の一本化と税金の投入にも賛成です。全ての政策の“まあまあ”と言った曖昧さに賛成できません。必要な税金の徴収には同意しますが、無駄な税金の使い方には反対です。消費税の値上げは無駄を省いて直必要な分についてのみ受け入れます。人として最低生活を確保された税制が必要です、抜け道を残す税制に反対です。

 憲法9条について基本的な問題を考えます。本当は、基本的権利を人間にのみ付与すべきが基本とは思いますが、歴史的に国家主権が認められています。とは言っても、国家主権は公的に認められてはいても、現実には、イラク戦争のように全ての国家が保障するものではありません。経済についても同じ事が言えます。日本にとって問題なのは、日本人に対する評価です。第二次世界大戦の評価は、日本の侵略戦争という評価と、日本人の好戦性という評価を、人類に与えております。国連憲章の敗戦国条項は、重要な意味を持っています。もし日本が連合国に敵対的行動を取れば、国連の決議無しで連合国は制裁できる条項です。これは言い方を変えると、連合国の一国である国家が日本の敵対的政策を容認した場合、制裁(核も含め)できる事です。アメリカ、ロシア、中国、イギリス、フランス。東京裁判について受け入れた、サンフランシスコ平和条約についても同じような意味を持ちます。さて、この様な国際条約を残しながら、日本は選択の幅は狭いのです。自民党政府が、日米安保条約に固執するのは、意味の有る事です。日本政府の、国連憲章の敗戦国条項の改定要求は非常に重要性の有る事です。

 この様に見てくれば、韓国政府が靖国問題を通して、日本の孤立化を声高に言い募ったのも、よく理解して頂けると思います。日本は常に平和国家である事を世界に示す事が、重要な意味があるのです。しかしこれは、実に不当な事では有るのです。この大元は第二次世界大戦の終戦処理の仕方に有ります。平和条約締結時に問題となった、自由主義国との平和条約で、共産国が除外された問題とは異なる、基本的問題を孕んでいました。ある意味では止むを得なかったものでは有りますが、その後の日本の基本的政策を規定せざるを得ませんでした。

 9条を守ると言う意味はひとつの選択では有ります。九条を守る事は絶対と言う理解は反対です。日本が独立国家である以上、日本の独立は日本人以外に守れるものは居ないのですから、安全保障問題は侵略と戦争問題に限定しては成らないと思います。国家の自立を示す意思でもあるのです。日本は何処の国から守ってもらうのではなく、日本人が命を懸けて守ります、と言う意思表示なのです。日本に多くの投資者が投資を行ないます。この投資した資産は投資した投資者の財産であると同時に日本の財産でも有ります。日本人が守らなければ、日本に安心して投資など出来ません。日本がアメリカの核によって守られてきたと言うのも、ある意味で(日本人自身も平和を守ってきた)事実でしょう。安全保障の消失には、経済的安心の消失である事を忘れてはいけません。この安心は日本人の安全のみではなく、近隣の安心、投資者の安全でも有ります。これは私の九条に関する基本的考え方です。