最初にあるエピソードを紹介したい。暫らく前に読んだ 書物の記憶なのだが、題名が思い出せない。――ある小学校の3 年生か4年生のクラスの事だそうだ。ホームルームの時間に、 掃除をサボる生徒について話し合われた。先生立会いの下で、 “掃除をサボった生徒は裸にして廊下に立たす”と言う罰が全 員の賛成で決められたのであった。ところが、最初に、掃除を サボったのは、女子生徒であった。――
如何であろう。当然、サボるのは、悪戯坊主である、と言う 前提で決められたのであろう。これは、民主的手続きを踏んで も決定できる事、と出来ない事とが有る事を意味している、一 つのエピソードである。我々の社会には見えないけれど、厳と した倫理観は存在する。ヨーロッパでは昔、宗教毎に裁判所が 有ったそうだ。レバノンには現代でも宗教毎の裁判所がある。 と言っても、昔の宗教裁判所ではなく、家庭裁判所のようなも のだそうだ。宗教毎に倫理観が異なるので、夫婦の揉め事など は宗教裁判所の判事に相談するのであると言う。
日本社会の倫理観は何と無くはっきりしない。義理、人情な どと言うのは倫理観だ。子供の頃、“お天道様は見てるんだよ !”と、どこかの小母さんに言われたことが有った記憶が有る 。これも倫理観だろう。
それから、個人的、哲学や宗教も強制されない自由が有る。 民主的手続きを踏んでも、束縛されない自由は主張する。価値 観などもそう言うものだろう。反体制的抵抗権は主張する。無 論、相手の哲学や宗教を尊重する事は前提である。