現代社会において、共産党のなすべき役割は消滅している。 理論的、社会運動的、学問的にその誤りは、すでに、明確に成 っている筈だ。多くの社会的分野で指導的役割は無くなり、む しろ、社会的弊害のほうが多くなって来た。国際政治の中で日 本人を誹謗したり、国際連帯は消滅している。イスラム教国で も、南アメリカ諸国でも、財の不均等は耐えられないほど広が って来ている。これらの国に、階級闘争を指導すべきか。彼等 が階級闘争を望んだとしても、多分、その行く末は暗い。
共産党は、曲がりなりにも、科学の党を自認してきた筈だ。 科学は、哲学、宗教、倫理観、とは異なり、実証を基礎に据え た知識体系である。知識の範囲内で、未来の予知が可能な、唯 一の知識体系である。多分、マルクス、エンゲルスも、権力に よって左右され、多くの不公平を実感する中で、財の公平な分 配は、どのようにすれば可能か。と言う命題に、一生を捧げた のではなかったのか。マルクスも、エンゲレスも社会の有り方 を単なる論理を超え、当時次第に明らかに成りつつあった、科 学と言う方法論に立ち至ったのではなかろうか。それは正しか った。
マルクスの時代、そして現代に於いても、その科学技術の中 心に有る欧米に於いても、未だ、人間社会の有り方を、科学的 に究明する方法論を明らかに出来てはいない。代わりに、所謂 、新経済学や心理学が全面的に発展している。理論家も多く揃 っている共産党なら、これらの学問は科学的究明方法と直接関 係していないことは理解している事と思う。心理学や経済学が 、実証的方法に近づこうとしても、これは事実上成功していな い。
私は人間社会を解明する方法として、人間を個として扱うべ きだと考えている。社会を集団として扱うと、人間個人の持つ 能力は、自分自身を捨て去る能力(自殺を含め)を持つものと して、その係数は無限大になり、解明不可能になる。人間社会 を知る方法として、現代のコンピューターは確率論の大きな発 展をみた。確率論は将来に期待が持てる。確率的事実として人 間社会を知るひとつの方法論として期待できる。一方、個人の 行動系を知る方法としての、心理学は、方向として正しくとも 、少し足らないものが有る。(この事については稿を分けたい )
いずれにしても、マルクス、エンゲレスは政治の世界に、科 学を持ち込もうとした事については、疑う事は出来ない。ただ 、時代がその理論の正確さに欠けざるをえなかった。それは現 在でもそうであるように、科学と哲学と明確な区別の出来ない 時代だった。人間社会の未来に向けて、科学を指標として、民 主的方法論を採って行く事が、他の方法よりましである。
よりましだと言う言い方は、人間個人の持つ能力に、プラス 、マイナスの無限的役割を感じないわけには行かないからだ。 ただそれ以外に方法論は見つけられない。今後の発見は皆科学 の知識体系のなかに吸収される。
共産党は組織の中に民主集中制を据えている。論理の誤りに 気付いたとしても、党内の論議は不可能に近い。このまま、党 員の結集がある限り、組織としての消滅は無いかもしれない。 不破哲三氏を始めとした党官僚は、党員の拠出する党費によっ て生活をしている。政治活動のプロである。理論家であるかど うかではなく、党官僚としての義務があり、その活動は規定さ れざるをえない。組織は衰退しても、組織に忠実である事には 関連が無い。党綱領の変革は有ったとしても、マルクスレーニ ン主義(科学的社会主義)を逸脱する事はありえないだろう。 願わくば、日本人に害を与える事に成る政策は、避けて欲しい と願うばかりだ。ひとつ、党員の力で民主集中制を排除できれ ば、また事情は変わる。