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一般投稿欄

共産党の丸山眞男批判(志位和夫氏の見解について

2006/12/15 風来坊 50代 自営業

 志位氏は第20回党大会に対する中央委員会の報告で以下のよ うに丸山氏を批判している。

 (3)歴史にたいする前衛党の責任とは何か
 大会決議案は、「歴史には客観的法則があるが、それはひと りでにすすむものではない。人民のたたかいこそ、歴史を創造 する力である」とのべています。歴史を創造する人民のたたか いの観点から、歴史をとらえるということが、いまとりわけ大 切であります。
 ①討論のなかでは、決議案が、丸山真男氏の日本共産党論と その理論的基礎への批判の意義についてのべていることについ て、「どうして丸山氏の日本共産党論批判を重視するのか」と いう疑問もだされました。
 丸山氏の日本共産党論とは、日本共産党が侵略戦争に反対し てたたかったことは事実だが、「侵略戦争の防止に失敗した」 という点において、「ファシズムとのたたかいに負けた」ので あって、日本共産党にも「戦争責任」がある、「結果責任」が あるというものです。
 わが党が、これをあらためて重視したのは、いまだに学会に 大きな影響力をもった研究者からの、わが党にたいする不当な 批判への反撃ということにとどまらない、大きな意義がありま す。それは、こうした議論をめぐって、前衛党が歴史にどうい う根本姿勢でたちむかうかという、大きな歴史観が問われてい るからであります。
 歴史にたいする前衛党の責任とは何か。それは、そのときど きの歴史が提起した諸問題に正面からたちむかい、社会進歩の 促進のために、真理をかかげてたたかうことであります。丸山 氏は前衛党の「責任」論とということを提起したわけですが、 われわれからの責任論の回答は、ここにあります。
 その真理は、もちろん実践によって検証されますが、人間が 真理を認識できること、真理への無限の接近が可能であるとい う確信のうえに、われわれの事業は立脚しています。 真理は、さまざまな客観的な政治的力関係のもとで、そのと きどきの歴史的局面.断面では、実らないこともあります。方 針さえ正しければ、どんな場合でもその方針はかならず実現す るはずだとするのは、幼稚な観念論ですし、それなら革命運動 はひどく楽です。(笑い)
 しかし、その局面ではたとえ実らなくても、真理はかならず 未来に生きる。真理は未来においては、いろいろなジグザグは あったとしてもかならず多数派になる。それをかかげて、でき るかぎり賢明に、そして不屈にたたかうことこそ、歴史にたい するわれわれ前衛党の責任があるのです。
 戦前のわが党の不屈のたたかいの意義も、この見地からとら える必要があります。歴史のある一断面.一局面だけをみれば 、絶対主義的天皇制権力の野蛮な弾圧によって、党の中央委員 会の統一的機能が破壊されたことは事実です。しかし、獄中や 獄外での党の旗をまもっての不屈の活動は継続され、やがて戦 後のたたかいにそれは豊かな形で生かされることになりました 。
 戦後、日本の新しい進路をどう選ぶかが問われたときに、他 の政党がおしなべて天皇制中心の「国体護持」をかかげるなか で、主権在民をはじめとする民主的諸原理を正面から主張しえ た政党は日本共産党だけでした。戦前の不屈のたたかいがあっ たからこそ、わが党はこの主張を堂々と展開できたのでありま す。
 そして、その主張の多くは、日本国憲法の平和的.民主的原 則に、刻みこまれることになりました。もしも戦前の日本共産 党のたたかいがなかったならば、それは日本国民が侵略戦争か らの教訓を自主的にくみだすことを、不可能にしたでしょう。 日本民族の良心の灯をかかげつづけることで、民族全体を大き く救ったのが、日本共産党のたたかいでした。
 歴史を局視的でない長い視野でみれば、軍国主義とファシズ ムにたいする勝利者がだれであったかは、あまりにも明りょう ではないでしょうか。(拍手)
 わが党が、丸山氏の日本共産党論について、歴史のこうした 生きた弁証法をみることのできない局視的な観念論であり、傍 観者の立場からの議論であると批判してきたことは、まったく 正当であったと思います。
 ②歴史を創造する人民のたたかいの見地から、歴史をみると いうことは、今日のわれわれのたたかいにもつうじる真理であ ります。
 今日の客観的な政治的力関係のもとでは、私たちが全力をつ くしてたたかったとしても、相手の横暴がとおることもありま す。小選挙区制反対のたたかいも、民主勢力は、悪法の推進勢 力をあと一歩というところまで追いつめましたが、最後はああ いう結果に終わりました。
 しかし、そのたたかいはむだだったかというと、けっしてそ うではない。このたたかいで発揮された民主主義の奥深いエネ ルギーは、日本の社会進歩の未来にむかって生きた力となり、 この悪法撤廃の力となって実をむすぶときがかならずくるとい うのが、私たちの不動の確信であります。(拍手)
 わが党のなかでも、よくさまざまなたたかいにたちむかうさ いに、「たたかっても勝つ見込みがあるのか、たたかってもむ だではないか」という声が、一部から聞かれます。しかし、ど んなたたかいをおこなうにせよ、あらかじめかならず勝つとわ かっている場合だけにしかたたかわないというのであれば、あ らゆるたたかいを放棄することにもつながることになります( 笑い)。
 世界史を動かしたどんな偉大なたたかいも、あらかじめ百パ ーセントの勝算があってはじめられたものではありません。勝 算の大小ではなく、歴史の直面する課題にこたえて、歴史をき りひらこうとする人びとによって、世界史はつくられたのであ ります。その方向が真理のそっているかぎり、たたかってむだ なたたかいはない―私はこのことを強調したいのであります。( 拍手)
 決議案は、「日本共産党と民主勢力が戦後つくりあげてきた 陣地の意義を過小評価して」はならないとしていますが、この 陣地自体が、戦後半世紀にわたる幾百千万の日本国民のたたか いによって、きずきあげられてきたものであることを、われわ れは忘れてはなりません。
 私はさきに、現在の政治状況のなかで日本共産党は、悪政に 苦しむ国民の要求にこたえ、その生活と安全をまもるために不 屈にたたかう唯一の党となっているとのべましたが、このたた かいは、三十三年の歴史によって、その生命力が検証され、こ の大会で一部改定でいっそうの充実がはかられる、綱領路線と いう科学的真理に確固としてささえられたものです。 これらのたたかいは、やがてかならず日本社会を民主的変革へ とつき動かした歴史的たたかいとして記録されることになるで しょう。
 同志のみなさん。大会決議案がのべているように、「歴史の 進歩は、大局的には正義と道理にたつものが、さまざまなジグ ザグをへながらも、最後に勝利することを教えて」います。真 理をかかげて不屈にたたかうことこそ、歴史にたいする前衛党 の責任があることを、決議案から深くつかんで、未来にむかっ てすすもうではありませんか。(大きな拍手)

これで丸山氏の提起している問題に反論していると言えるの だろうか。
丸山氏の提起した問題は、
①天皇制の最も能動的な政治的敵手であり
②前衛党を名のる以上、戦争突入を許したという結果に対する 政治責任はある。
 これに対して、宮本、不破、志位氏は、「たたかう}という 政治責任は認めているが、 結果の責任については全く言及していません。
 共産党の決定は真理だ、共産党を批判するのは観念論だ、反 動的だ、と言っているだけです。

 相手の提起した問題に一切答えず、批判する。これこそ、ま さに誹謗.中傷ではないでしょうか。三役がそろって、反論で きないということは、丸山氏の指摘が正しいことを意味するの ではないでしょうか。
 ところでなぜ党中央は、40年も前の丸山論文を批判するのだ ろう。多分この結果責任という自分たちに対する責任追及に転 化する可能性を感じたのではないだろうか。
 新日和見主義事件による民青が十分の一以下への激減、選挙 における度重なる敗北、政治課題、大衆闘争の敗北、影響力の 衰退など、党中央はどれ一つ結果責任を認めず、決定や方針の 見直しをしない。マスコミや敵の攻撃など常に外部と下部に責 任を転化する。常に決定は真理であり、それに対する批判は受 け付けない。
 実践の度に、決定や方針そのものも含めた成果や欠点、改良 すべき問題や強化すべきなのか引くべきなのかなど常に教訓を 引き出し、今後の闘いに反映させるのでなければ、運動を発展 させることはできない。

 この投稿の最後に、前回の投稿の志賀自身が言ったという戦 後革命論争史(上田耕一郎著)注を引用する。不破、上田両氏も この論文を書いたとき、この見解を肯定していた筈である。

「共産主義者が、あるいは共産主義者だけが徹底的に侵略戦争 に反対した。これは不滅の功績であり、大きな誇りである。し かし、いやしくも、共産主義者として、当時、党の再建の先頭 に立ったものとして、自分たちだけはこの戦争に反対した、戦 争協力で自分たちの手をけがさなかったというだけでは足りな い。共産党は国民にたいして、責任をもたなければならない。 どんな弾圧のもとでも党は国民の抵抗を組織する義務がある。
 党は3.15以来のたびかさなる敵の攻撃のために、戦争中、 この抵抗を十分に組織する任務をはたせなかった。そのために 結果として国民は軍国主義に駆りたてられ、独占資本家や地主 どもに欺かれ、官僚に抑えつけられたのである。
 われわれが釈放されたとき、まずこの点について、謙虚に遺 憾の意をあらわし、党と国民とが固く結合して、二度とこうし た事態にならないように訴えるべきであった。そうしたならば 、その後の平和と独立と民主主義をかちとるしごとはもっとは ばひろく、もっと大きくなっていたであろう。米日反動は党と 国民とを切りはなすことに最大の困難を感じたであろう。
(戦後革命論争史、第四章 民主戦線戦術をめぐる論争注(3)「 獄中十八年」の「あとがき」上田耕一郎著)

 志賀義雄氏は、部分核停条約のとき、ソ連盲従分子として、 処分されている。
 当時彼らと闘ってきた者の一人として、彼を擁護するつもり はないが、この論文に関する限り、宮本、不破、志位氏の第20 回党大会の論文より共感がもてるのは私だけだろうか。党中央 は処分された者のそれ以前の業績まで全て否定するが、この論 文を書いた当時は、志賀義雄は共産党の最高幹部の一人であり 、この見解は、当時の共産党の見解とみなせるのではないか。