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“意志”の絡む問題

2006/12/19 灯台守 60代 自営業

 北朝鮮には“主体思想”と言うのがある。マルクスは科 学的方法論を重視したため、主体、つまり、主観に着いては非 科学性として客観主義、つまり、科学性を重視した。しかし、 科学的に見れば、“意志”の問題は避けて通れない問題ではあ る。科学にとって、主観であろうと、客観であろうと、その研 究の対象とするに区別は無い。世の中の全ては科学の研究対象 である。人間の個としての自覚、意思 感覚 思い 等々、科 学的研究対象として捉える事は当然の事だ。ただ、現在は解明 の途中であり、神経組織の更なる解明は、個人の個としての自 覚の解明に迫るであろうことは、決して夢ではない。

 言い換えれば、人間の組織は、所謂、“複雑系”に属する。 人間の作る社会はもっと“複雑系”であろう。しかし、如何に 複雑系であろうとも、人間のもつ知識欲は、その解明をほって 置くとは考えにくい。“複雑系”を処理する方法論として、ま すます、コンピューターの働きは進化するのであろう。私個人 は後たくさん有るとは思え無いが、それにはお構い無しに、文 化は進化するであろう。マルクスは人間社会のこの“意志”の 問題を軽視した。人間社会の重要な点を、経済的見地の優先権 を与えた。人間社会は経済が土台と言う誤った哲学観が人間社 会の研究の遅れを助長して来てしまた事か。そして今でも猛威 を放っている。私は、マルクスの政治的影響力は、次第に力を 失いつつあると感じてはいる。しかし、一旦定着した観念は、 マスメヂアや教育知識的分野ではまだまだ大きな力を発揮して いる。それは、日本に留まらず、世界的問題である。マルクス の努力、目的を思えば、マルクス個人を責めても意味はあるま いが、その被害の甚大さを思うと、何時か博物館に飾って、再 び“誤りは繰返しませぬ”と期さざるを得まい。追)北朝鮮の 論はばらばらで、論じる必要性を感じられない。社会倫理や人 権、組織、民主制については別に論じる。