灯台守さんへ
19日付けのお返事は読みました。原さんと僕と二人へのお返事なのですね。
さて、冒頭にこう語られています。
「私の論理は、何方かの論理を代弁するものでは有りません。歴史的知識体系を踏まえ、自分成りの論理に至ったものです」
「代弁」かどうかはどちらでもよいのです。貴方の議論について過去、現在の思想の世界では当然同じ内容の議論があったのであって、僕らはそれを提起していることになります。原さんのは論理的なそういう提起ですが。僕のは貴方が言うところの「歴史的知識体系」の形ですね。それにお応えにならないで、前言をほぼ繰り返されるというのはどういうことなのでしょうか。例えば僕は、科学と「公論」外のまー随筆というような世界「の他に」、諸個人の能動性が関わる全体的根本的諸知識、諸命題、哲学的命題の世界というものが存在しているはずだ、いや「存在せざるを得ない」と語っているわけですが、それに対してどうお応えになるのでしょうか。
例えば貴方はこう語られていますね。
「経済的弱者の救済と言う目的は誤りでは有りませんが、基本が科学であろうとしたにもかかわらず、哲学でした。哲学は実証性を伴わず、見方を変えれば、百者百様の論理に変化します」
ここで貴方は、「誤りではありませんが」という命題を科学では当然なくて、哲学とされていますが、これはあなたによれば単に「百者百様の論理に変化します」というだけのものであって、僕流に言えば「公論出来ない世界」に属するものとされている事になりますね。なのにこれが「誤りではない」と貴方が言われるのは、どういうことなのでしょうか?この「判断」はどこから来るものですか?貴方も科学と「百者百様」の意識世界との「他に」、こういうものを持っているわけであって、貴方はこれに無自覚なだけだと僕は言いたいのです。言うなれば人間の意識の世界には、科学と「百者百様」以外の「公論的な意識」が存在するということです。
また、僕がヘーゲルにまで遡ってこう述べたことはどうなるのでしょう。「マルクス主義は科学ではありません」と。マルクスはなにも、ファッハ・ビッセンシャフトを語ったわけではないでしょう?学問的なら良いのですが、それにしても全て実験的に証明済みのような科学を語っただなんて、マルクスは絶対に違うと言うでしょうね。
とこのような議論を前回に提起しているのであって、もう一度きちんとお応え下さることを望みます。