レギオン氏の次回の投稿に期待します。私の疑問の出発点は “事実”からでした。ソビエトの原子力物理学者サハロフ博士 の出国阻止事件、作家ソルジェニーツインの「収容所列島」ほ かの著作類からの疑問でした。革命期のソビエト映画の幾つか にも接しました。共産政権の人権観、人命軽視に疑問を持ち持 ちつつ、哲学書を漁る習慣が出来ました。哲学書を読む事は、 さらに哲学に深く入り込む事に成りました。中年を過ぎてむし ろ、歴史書、趣味的古代史に興味を持ち、読み込んで行く内、 古代史にも恣意的な理解が入り込んでいる事に気づいて行きま す。政治的疑問が、学問の中へ疑問が広がって行きました。図 書館で“OECDから日本政府への勧告”(正確な書名ではない) と言う書物に出会い、“何で”“如何して”と言う不可解さが 残りました。本格的に、意図的に書物を当り出したのは、それ 以後です。社会科学のみではなく、自然科学へも視点は広げま した。ニュートンとアインシュタインの違いに興味を覚え、相 対論が仮説と概念と数式によって成り立っている事に興味を持 ち、実証が重要な意味を持つ事に気づきました。ニュートンは 、地球が何故太陽の周りを回っているのかと言う疑問から、出 発しています。そこには“事実”があります。相対論には事実 は含まれません。実証が事実です。検証が誤っていれば、相対 論自体崩壊します。
不破氏の著書「科学の目」ですが、党綱領の“マルクスレー ニン主義”と言う字句が、党大会で“科学的社会主義”に改定 されたのは、何時だったでしょうか。不破氏の頭の中には、“ マルクス理論=科学的”と成っている筈です。私は“間違いで す”と不破氏に手紙を書きました。私が間違っているのか、不 破氏が間違っているのか、歴史が判断するでしょう。