久々に裁縫と言うものをしました。写真の袋(腰巾着?)です。
最近、三井マリ子さんの「館長雇い止め・バックラッシュ裁判」への支援を通して、次第に、本来の男女共同参画と言うもの(一部のTVや政府の審議会でバカ受けしているような「えらい」教授などがが派手に言うものではない)が、労働、福祉などのセーフティーネットの個人単位での再建を進めるものであり、別に女性だけでなく、男性である自分の生活を向上させてくれるものなのだということにすっかり納得してきたところです。
なかなか前回の記事で家事ができない、と弱音を吐いた自分 ですが、そうはいっても努力の必要もあると思いました。
また、いろいろ、身の回りの服を直したりとか、普段着るも の位は時間があるときに少しづつ進めて安上がりでできたらい いな、また、親しい女性の友人には、バレンタインデーなどに は、企業の商品を買うのではなく、手作りのをプレゼントした ら相手を大事に思う気持ちが伝わるだろうなあ、などと思いな がら、習い始めました。
しかし、最初は悪戦苦闘でした。針を進めるとき、師匠に「 宇宙空間に飛び出すようね」といわれる始末。なんとか、進め たが、なんと、袋の口を縫ってしまう失態。「ティロリー、テ ィロリロリロー」などと苦笑しながら、教室で3時間、そして 家で1時間で1着できました。
次の日は、公民館で、待ち時間に、針を進め、そして、次の 日は、仕事の合間の昼休みに針を進めて、大方もう1着できま した。慣れるとうまくいくものです。
それから、私らしいといえば私らしいのですが、針を進めな がら、新しい政治のあり方について、考えることができました 。
針を進めながら、私が評価している地元選出の保守本流(ネ オコンではない。今は自民党を離党し野党)の政治家が結構、 貧しいご家庭の出身で、こんな内職なんか見ながら育っていた んだろうなあ、などと思い出しました。彼の政策には、人間と して温かみがあると思う。
東京のマスコミはダーティーだダーティーだと騒ぐが、「リ アリティー」は、今の若手よりあると思う。それは、こういう ものを見て育てば、リアリティーが出てくるわな、と思います 。
汗水たらしてモノを作っている人々。我が祖母をはじめ、お 年寄りを低賃金でも一生懸命介護してくださる人々。モノを運 んでくださる人々。私の急いでいるとき、目的地まで安全に運 んでくれるタクシーの運転手さん。当たり前のことを当たり前 にこなして、社会を支えている人々。
そんな人々への想像力を自分も少しは、取り戻せたような気 がします。この裁縫だって、目が粗かったら、モノが飛び出し てしまいますからね。
今の若手政治家には小泉チルドレンに代表されるようにネオ コンが多い。政治家まで行かなくとも、日本人にはずいぶんイ ンテリが増えたと思います。男性、女性問わない。彼ら、彼女 らは海外の大学院に留学していたりして、インテリである。あ あ、そんな金があり、恵まれてうらやましいと思う。
ところが、そんな彼ら、彼女らが、教条主義的に、アメリカ 万歳的な政治を賞賛している。ワーキングプアは自己責任だと ネット上で言い放つ。
他者への想像力の欠如と言うべきか。仕方がない。もう、今 の40代前半以下は、ゲーム世代。
何でもかんでもゲーム感覚。そんな世代がもう国の中枢を担 う時代なのだ。自分の仕事が、コンピューターだけで済むよう なものだったら、もうリアルな人とか、物体に対する想像力な ど沸くはずがない。
一方、安倍晋三さんを筆頭に、地方議会でも古臭いイデオロ ギーを振り回す系譜のネオコン若手議員も多い。
豊中市議の北川悟司さんのようなベテランのバックラッシュ 派ならともかく若い人については理解に苦しむ。でも、これも 想像力の欠如という点で「アメリカ万歳派」ネオコンと共通し ています。
構造改革のせいで人々が苦しんで家族がバラバラなのに、そ のことが目に入らず「日本の心」などと言い出すから笑止千万 。全然「リアリティー欠如」である。ああ、この人、どうせ、 家事も介護もろくにしないのだろうなとしかいいようがない。 私みたいに、家事に余り割けないことを潔く認め、恥じると言 うこともせずに、お説教ばかり。何が自己責任だ。何が伝統だ 。ふざけるな。
いや、彼ら、彼女らの本業の政治活動だって、空虚な「改革 」または「日本の心」を叫ぶだけ。
「しがらみがない」「市民派」などと自慢するネオコン若手 議員もいるが、これって、単に、庶民感覚がないのを、一部マ スコミに影響されやすいような無党派層を騙すためにかっこよ く見せているだけじゃん、と思ってしまう。
さりとて、安倍さんの挑発に乗って、「憲法こそが参院選の 争点だ、憲法守れをいわない民主党は怪しからん」などという 一部護憲派政党もなんだかなあ、と思ってしまう。本当に、庶 民とともに歩む気があるのかと疑ってしまう。ああ、やっぱり こちらさんも「えらい人」中心なのかと。。
農民出身で法律を議員としてたくさんつくった角さん(故田 中角栄総理)が神様に見えてしまう。角さんは逮捕されたが、 一方、乱暴に言えば曲がりなりにも国民にメシを食わせてくれ た。(政治を**先生のおかげで助かった、などととしてしま うことにはもちろん私は反対ですが。)
が、ネオコンは、メシ(アテ=明日への希望も)を奪った挙 句、改革or伝統と、壊れたテープレコーダーのように叫ぶだけ 。それを見た、悪い意味でインテリ化(想像力欠如)した人々 が、「改革だ」と言って入れてしまう。本当にこんなんで良い のでしょうか?ネオコン若手議員諸君はもう少し、世間で苦労 したほうが良いと思ってしまう。せめて苦労の経験がないなら バッサリ切り捨てる傲慢さは止めたまえ、と思ってしまう。
「当たり前のことを当たり前に」こなしている、多くの女性 も男性も、「誰もがくいっぱぐれない」ようするのが公務員で ある政治家の役目ではないのか?内政でも外交でも、「当たり 前のことを当たり前にこなす」、そこを大事にしなかったら、 日本国と言う袋は、縫い目が粗くなって、小銭などがボロボロ もれて役立たないでしょう。
私は、糸を二種類使った。表と裏両方の生地も大事である。 (裏返しにして使えるので実質的には表裏なし)。そう、政治 にも女性、男性両方の糸が必要である。誰もがくいっぱぐれな いようにするための制度設計のためには。
ふつうの人を大事にする感覚を持った政治家が出るような仕 組みをつくらねばならない。そういう仕組みをつくった、政党 があれば、とくに地方議会ではバカ受けするだろうに。
生活感覚を持ちつつ、政権交代により、腐敗も防ぐような仕 組み。こういう袋を構想しようではありませんか?
とにかく、今は、これ以上、日本と言う袋から零(こぼ)れ落 ちて捨てられる人が出ないように、市民が頑張るしかない。