拙稿をお読みいただいて有難うございます。今回は、『〈帝国〉』の「第二部 主権の移行」に関連して、、「科学的社会主義」への批判を展開してみました。かなり難解で、十分に消化しきれないままの部分もあったので、ご期待に添いかねたかも知れませんが、お許し下さい。ここで、このような批判を展開する私なりの理由付けを述べておきたいと思います。
ある人が喋っている外国語がその外国で通用するものなのかどうかは、それを単独で聞いただけでは、その外国語に関してまったく無知の人には判断できません。しかし、それが酷い外国語である場合、ネイティブが話すのを聞いている人ならば、言語学者でなくとも、子どもでも、一発で判断できるはずです。現今、「科学的社会主義」の名前のもとで流布している哲学・世界観にはその手のものが多いような気がします。これが、門外漢の私が批判に参加している所以です。要するに、「科学的社会主義」者に言いたいのは、いい大人が子どもに笑われるような醜態をさらすなということです。
今後の灯台守さんのご投稿に期待いたします。