●論争の論点をどこに置くか
ご無沙汰しております。私は「浅野勝手連」の立場から、ネ ット上で万三さん 支持者の方々と論争をして参りました。ま た反対意見の投稿も許容する懐の広 さをいいことに、ずうず うしくも万三さんの掲示板にもお邪魔し、自説を披露 してき ました。そうした論争の中で論点のズレをずっと感じてきたの ですが、 とんびさんへの鈴木さんの反論を読み、そのズレの 意味がはっきりしてきたよ うに思いました。万三さん支持者 は万三さんの公約の方が優れている事を支持 の理由としてい ます。一部の人は浅野さんを「石原と同等」視しています。一 方、浅野さん支持者には二通りあり、彼のマニフェストを「最 高」と評価する 者と、私のように「万三さんの方が優れてい るが浅野さん支持」という立場の 者とがいます。そもそも論 点がズレているのです。このズレは自分を「組織 者」と自覚 した時に大きな違いとなって表れるのではないでしょうか。
●世界を変革する主体は民衆
世界を変革する運動の主体は民衆です。民衆が決起しなけれ ば世の中は変わら ない。そして共産主義者の組織=「党」は 、その変革にもっとも合理的で説得 力のある方向を示し、運 動に力と形を与えるためにあるのではないでしょう か。宣伝 、扇動、組織はそのための重要なファクターといえるでしょう 。さ て、選挙に臨む態度についてですが、自らを「組織者」 として自覚した時、た だ「最も正しい事を主張する」だけで 良いのでしょうか? もちろん組織内か ら候補者を立て、自 己の主張を宣伝する事は決して否定するべき事ではありま せ ん。しかし、情勢を充分に分析し、その中から方針を立てる事 なしに「正し い主張」をするだけでは民衆の中に分け入って いく事はできません。
●民衆の中から選ばれた候補
今回の場合に照らしていうなら、浅野候補は特定の政党の根 回しで選ばれたの ではなく、「民衆の中から選ばれた候補」 です。もちろん過去の経歴などから 民主党も出馬要請をしま したし、ますます関係は深まっているようですが、そ れでも 、それは「民衆によって選ばれた」事実を否定することにはな りませ ん。ここで「組織者」としての選択が問われます。民 衆が選んだ候補をどう扱 うのか。もちろん「民衆が選んだか ら正しい」とは限りません。あくまでも否 定するべき根拠が あるなら断固として拒否する必要があるでしょう。しかし少 なくとも、「組織者」なら、これからの状況の変化の可能性を 考える時、ただ 「候補者をどう評価するか」だけではなく、 候補者を推しあげて都政に変革を もたらそうとする民衆の能 動的意志をどう分析するか、までを考えて判断しな くてはな らないのはずです。
●党の判断は民衆に試される
「浅野を選んだ民衆の選択は間違っている」という判断から 独自候補路線で行 くのか、それとも、例え「民衆が不充分な 候補を選択した」と判断しても、そ の民衆と共に同じ闘いに 立ち、そこでより左へと運動を向かわせる努力をする のか。 今回の選挙はそのような選択肢を共産党に突きつけたものでし た。そし て共産党は前者を選択しました。その判断の結果は 、勝敗の如何を問わず選挙 が終わったあとにはっきりするで しょう。浅野擁立に立った民衆は「共産党は 自分たちと一緒 に闘ってくれなかった」と思うのでしょうか? それとも「や っぱり浅野はダメだった。共産党の言う事が正しかった」と「 真実に目覚めて くれる」のでしょうか。「組織者」としての 共産党(中央)の判断の成否がそ こで明らかになるのではな いでしょうか。