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「科学の目」から「党員魂」へ

2007/8/4 レギオン 60代以上 無職

 7月25日の「全国いっせい総決起集会」の最後に、志 位委員長は最後にすべての党員に次のように訴えたという。

「日本共産党に入党された同志は、みんな初心があるはずです 。人々の幸せと社会の進歩のために頑張りたい。平和な日本を つくりたい。だれしもが安心して暮らせる豊かな日本をつくり たい。資本主義をのりこえた未来社会への道を開きたい。すべ ての党員一人ひとりが入党の初心にたち、日本共産『党員魂』 を発揮して 、頑張りぬく歴史的瞬間です」「いまこそわが党 の底力を出すときです。燃えに燃えて爆発的な大飛躍をつくり 、必ず勝利をつかみとろうではありませんか」(『 』は引用 者)

 私には、この「党員魂」という言葉が引っかかるのである。 しんぶん赤旗電子版の検索では、この言葉の初出は、04年1 月の第23回党大会における代議員の発言にあった。その後、 そんなに数は多くないが、志位委員長はたびたびこの言葉を使 っている。
 唯物論と弁証法に基づく「科学的社会主義者」が、魂などと いう唯心論的な用語を使うのがケシカランと論難するつもりは 全くない。役者魂、職人魂などと、魂という言葉がその第一義 的な霊魂という意味から精神、気力を表現するものに転用され ているからである。
しかし、これらの事例では、その魂を発揮するのはあくまでも 個人であって、ある種の集団や組織の目的達成のためにそうす るのではないはずである。ある組織に属している人間がその組 織のために魂を発揮するというとき、その好例が軍人魂であろ う。その背景には、大和魂がある。ウィキペディアによれば大 和魂とは、

「外来の学問・知識を日本に採り入れる際に必要な判断力・能 力、または情緒を理解する心などを指す用語・概念。」…であ ったが、明治以降には、「『日本古来から伝統的に伝わる固有 の精神』『万邦無比の優れた日本の精神性』『日本国家のため に尽くす清い心』といった誤用がむしろ主流となっていった。 」

とある。戦時中にかけて、この誤用に拍車がかかったのは言う までもない。
 さらには、吉田松陰の和歌「かくすればかくなるものと知り ながら やむにやまれぬ大和魂」が与えた影響も見逃せないと 思う。これが詠まれた歴史的な状況は知らないが、この和歌が 、いつの間にか、大和魂を発揮するために、不合理なことでも 敢えてやるという風潮を生み出したことは否めない。思えば勝 ち目のない 無謀な戦争を追行した軍人たちの胸をよぎったの はこの和歌かも知れない。
 「かくすればかくなるものと知る」とは正に「科学の目」の 立場なのだが、魂を持ち出すことによって、その立場を否定し てしまうのである。今般の参議院選挙を闘った、党の最高幹部 たちの心境はこの和歌に託せば、次のようなものであろうか。
 「かく(全選挙区に候補者を擁立)すればかく(多額の供託 金が没収に)なるものとは知りながら、やむにやまれぬ党員魂 」
 また、一般党員にすれば
 「かく(多額の選挙カンパを)すればかく(生活が苦しく) なるものとは知りながら、やむにやまれぬ党員魂」
ということではないだろうか。
 そのうちに、選挙の総括を巡って中央委員会はじめ各種の会 議が開かれ、「党員魂」という言葉が飛び交うのであろうか。