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一般投稿欄

日本共産党が勢力拡大の重大な機会を逃したことを憂う

2007/8/14 鈴木赫子 70代

 自民・公明政権が今度の選挙で大敗をしたのは喜ばしいことである。

 日本共産党は、この選挙について、またも、善戦したとか、自公政権を追いつめるために一定の役割を果たしたというような総括をしている。

 しかし、民主党に投票した人々は、日本共産党の宣伝に共感して、あるいは、日本共産党の宣伝が自公の政策の在り方を批判して、追いつめた結果、それに同調した人々が民主党に投票したと評価できるかどうかは疑問である。

 70%を超える高い支持率で成立した安倍政権ではあったが、その後、閣僚達が次々と失言をしたり、政治資金をめぐる疑惑を暴露されたりしただけではなく、それにたいする安倍首相の対応が国民の怒りを買っていた。議会では、ろくに審議することもなく、強行採決につぐ強行採決で法律を一方的に自公がごり押ししていた。そこへ社会保険庁の腐敗・堕落が追い討ちをかけ、将来の年金はどうなるのかという不安に国民全体が陥れられた。そして極めつけが、赤城大臣の事務所費疑惑と絆創膏である。絆創膏をはってテレビ画面に登場し、これが一国の大臣かと思われるほど貧相な若造が疑惑に対して一切応えないという映像が国民の圧倒的多数の顰蹙をかった。これらの一連の動向とテレビ映像から生じたある意味では皮相な反発が安倍政権への不満となって鬱積し、それが参議院選挙に投影し、小選挙区制も作用して、自公の大敗につながった。この選択は、民主党のいわゆる「マニフェスト」の内容を支持し、確信をもっての投票とは違う。ましてや日本共産党が自公政権を追いつめた結果などではないことは明確ではないか。

 この選挙結果により、参議院で野党が多数を占め、日本の政治的動向を一定程度変化させる可能性が生じている。このような変化をもたらす上で、日本共産党がもっと積極的に関わっていたら、その後の展開は日本共産党の勢力伸張に役だったであろう。

 日本共産党は、野党共闘で、一致できるところは共闘していくと絶えず主張し、実践してはいる。しかし、一致できなくても、自公に比べて、よりましな勢力、あるいは、ここで民主党に勝たせたら政治の流れが変化するという重要な選挙や局面で、民主党やその他の政党を無条件で支持する行動も重要であろう。

 例えば、2月の愛知知事選挙で民主党が自民党を破れるかどうか注目されていた。それは参議院選挙にも影響する重要な選挙とみられていた。ここで日本共産党は、野党共闘を追求し、例えそれが不調に終わったとしても、その後の政治の流れを変化させるために、自党候補をたてず、民主党に投票することを公然と発表し、共産党支持者にも市民にも民主党へ投票する理由を明確にし、呼びかけていれば、自民党候補の勝利を阻止できた。これによって政治の流れに一定の変化が生じていることを選挙民に確信させ、しかもその流れの変化に共産党が関わっていることを有権者たちに広く知らせることが可能であった。これは今度の参議院選挙の結果にもつながる可能性があった。愛知知事選挙だけではなく、今年に入ってからの各地の選挙でこのような行動を取る機会はいくつかあった。

 ところが日本共産党は、野党共闘は不成立と称して、独自候補を立て、自分達の意図とは異なるではあろうが、事実上は、民主党の勝利を阻止し、自民党の勝利に手を貸した形になった。

 今度の参議院選挙でも、野党共闘を試み、それが不調であった場合でも、小選挙区で民主党の候補者のうち、憲法を擁護するかどうかを判断基準として、擁護するとしている民主党の議員が立候補しているところでは、すべて日本共産党候補の立候補を見送り、民主党に投票するように日本共産党の支持者や選挙民に公然と広く訴えるべきであった。これによって民主党の当選数はさらに増えた可能性がある。

 その結果、現在、生じつつある政治の流れの変化に日本共産党が果たした役割を誰でも明確に認識し、日本共産党への支持を拡大する基盤を広げることも可能になっただろうし、これから生じる政治的変化に日本共産党はより深く関わる可能性を獲得し、皮相な感情から生じた有権者の政治的動向をより質の高い変化へと向かわせる重要な担い手に日本共産党はなっただろう。

 しかし、その可能性はもう失われてしまった。この失敗は、かなり長期に渡って、日本共産党の停滞につながる可能性がある。これから生じる政治的変化は、例え日本共産党がどのように不十分だと指摘しようと、日本の政治にとってはかなり重要な変化の兆しといえるのではないか。その流れにもっと強力に関わりうる政治的力を持ちながら、まったく関係しえなかった。これは、日本共産党の力に期待する有権者への背信行為である。

 政治は多数を獲得する技術でもなければならない。いついかなる時でも、一致点を明確にし、政策協定を結ばなければ、共闘できないというのは、一種の教条主義であろう。戦争反対、平和主義、人権擁護、福祉の充実、庶民の生活重視といくら宣伝しても、多数を獲得できなければ力にはならない。日本共産党の主張は正しかったといずれは有権者が理解してくれるとこれから宣伝を強化しても、これまで同様、多数派工作をないがしろにしては、いつまでたっても政権はとれないだろう。確かな野党で留まることをめざすのであれば、それでいいかもしれない。しかし、力にならない主張はやがて忘れられてしまうだけだ。その上、参議院での議席も減少している。力は弱まっているのだ。

 このまま行けば、やがて、日本共産党が主張していた政策を現実に実現するだけの政治的力を持つ別の集団が登場せざるをえず、その勢力が中心に、有権者の多数を獲得し、政権を担当することになる。その時、日本共産党は少数派として、かつて私たちがいっていたことは正しかったと確認することで満足することになる時が来るだろう。それは、大日本帝国下で、戦争を阻止できなかったが、戦争反対を監獄で貫いたことを自慢することにあい通じるものがある。まさに確かな野党が監獄にいた。