過ってマルクスは、自分自身の人生をかけ、社会科学を 目指したのではなかったか。私はこの様に考えている。ヨーロ ッパ文化の中に育ったマルクスは、“論理の世界”(哲学的世 界観)から踏み出す事は出来なかった。不破氏の「科学の目」 は、其のタイトルのみ正しかった。エンゲルスが「空想から科 学へ」を書いた時、多分、弁証法的唯物論が科学であると信じ ていた筈だ。不破氏が「科学の目」を書いた時も、不破氏は弁 証法的唯物論を科学として思い込んでいた。今でもだろう。
現在、日本共産党に残された選択は、マルキスト(哲学 信奉者)として生きるのか、社会科学者として民主主義を掲げ 、リアリズム(科学的視点)の下で社会を理解しょうとするの か、分かれ道に立っている。
“戦争の放棄”に拘ればよいだろう。共和制を掲げ、天
皇条項は憲法から外し、非政治的文化的天皇に位置付けよ。国
連常任理事国など国家としての欲を捨ててよいだろう。国民に
リアリズムを教育して、一方、超感性社会として日本を発展さ
せよ。価値観は自由だ。科学的思考(リアリズム)と民主的ル
ールとを堅持して、個人を磨く社会、失敗しても再生の利く社
会、最後の受け皿社会保障を確立せよ。最後に統治社会から、
自治社会(古代から日本で発展した和の社会の発展系)に移行
せよ。社会主義は誤りだ。個人の自立した、個人の個性を自由
に伸ばせる社会を築け。
共産党が再生する道は、マルクスの文化的原因によって誤っ
た道は称えつつ、其れから離れて科学と民主制の道に進め。科
学には誤謬はつき物である。自らの誤りを反省する事で、相手
の誤りを理解できる。日本の感性文化は、リアリステック(科
学的視点)を持つ事で、国際的スタンダードに成りえる。自信
を持て。但し、現職幹部は去るべきだ。