「葦牙」のHPに中里喜昭さんの小田実氏追悼文 「われ=われの葬送」がアップされているのを千坂史郎さ んの掲示板サイトの記事で知り、読みました。中里喜昭さんの 古くから(「分岐」以来)の一ファンとして、ひとこと。
追悼文の中では、「民主文学」四月号問題の後、宮本顕治氏
引退と歩調を合わせるように文化政策の路線変更があったとの
見解が示されていますが、中里さんらしからぬ甘い判断だと思
います。私は、日本共産党自身、文化政策への確固とした理念
がないために、単にご都合主義でふらふらしていただけだと思
います。宮本氏が現役の頃でさへふらついていました。宮本氏
の自尊心に左右された気まぐれのせいで、そしてまた、彼に追
随する事なかれ主義の党官僚の無節操のせいで、大勢のすぐれ
た党員作家、学者、文化人、原水協活動家などが、党を去り、
人生の一部を奪われました。今この時点で、共産党の看板を背
負いつつも生き生きと社会に打って出るような「知識人」がど
れほど残っているでしょうか? 党として路線変更するなら、
それなりの総括や謝罪があってしかるべきです。全ての共産党
員は、この面で重い歴史を背負っていると自覚すべきです。裏
読みすれば、たぶん、中里さんこそが、そのことを言いたかっ
たのでしょう。
皆さまにも一読をお薦めします。