哲学論議があるようです。哲学と科学ととか、唯物論と観念論ととか。そこで、常に見落とされている「最重要な哲学的側面の一つ」がありますので指摘したいと思います。
私たち人間は生きているから哲学をするのであって、科学とか数学をやるために生きているのではありません。とにかく我々、人間はまず生きており、恋愛なり、「人生」なり、「自分」なり絶望的な問題なりへの対面なり解釈、理解なりというもっとも深刻で、大切な問題では、科学も関係させはしますが、最後は「日々決断して生きていかなければならない」のです。人々のこういう決断には、何の諸法則とか傾向とかも存在しないのでしょうか。数学的、科学的なやり方、答え方とはちがうにしても、そんなことは全くありません。こういう点については多くの哲学者が指摘してきたところです。特に、科学主義でない哲学者たちの最重要問題でした。実存主義、マルクス主義、カトリックの哲学などの大潮流がそれです。なお、マルクス主義の科学主義的解釈もありますが、僕はあれはナンセンスだと考えています。
また科学主義の潮流でも、その個人の傍らに宗教を持ち、その世界は「完全に個人に任せているという対応」を取るはずです。つまり科学主義者も科学主義だけで「人生を済ましている」わけではないのですが、科学の外の世界は単に信念とか、全く個人的見解だけと言い切れるものでしょうか。つまり科学以外の哲学の領域とは、そういったものでしかないのでしょうか。
それは間違っていることは確かです。だからこそ、いろんな哲学があった。それを馬鹿にしてはいけません。ただし、そこからが難しい。諸哲学自身を語らないでは、その答えが出ないからです。いや、諸哲学自身がその答えだからです。諸哲学があるからといって、たった一つの答えを出すような自然科学と違うからと言って、真偽の偽というものでもありません。第一そんなことは誰が言えるのでしょうか。言えないはずです。ヘーゲルのようにそれぞれを全一的真理の諸側面と語る哲学者もいます。マルクスはその潮流に入るはずです。
取り急ぎ、失礼しました。