以前より、人文学徒さんの文章を読ませて頂いています。残 念ながら、論理が混乱していて、コメントする事が難しいと感 じて来ました。
“科学主義”と言うものは存在しません。多分、イデオロギ ーに依存されているので、他の考え方に“主義”と規定したく なるのでしょう。科学は、方法論と知識体系のみです。
前提に、個人の“主義”、“主張”は自由ですし、私自身、 “科学的生活”など生活していません。糖尿と腰痛を持ちます ので、理にかなった生活をしたいとは思います。
此処で(さざ波通信)論じているのは、人間と人間との社会 的ルールに付いての問題です(政治問題)。個人がどの様な生 活を為されていようと、他人の口を挟む問題ではありません。
従って、個人がどの様な哲学、宗教、倫理観を持とうと自由 です。
科学的知識体系を社会的諸問題解決の基礎とすべきでは無い かと言うのが、私のさざ波通信に投稿している趣旨です。
デモクリトスさんの仮説に対する見解に付いて――仮説が先 で、事実が後でも、事実が先で仮説が後でも、その複合的論理 でも、科学的知識体系を形作る事に問題は有りません。
哲学と科学との間には基本的違いが有ります。“概念”を論 理の基礎に置く事です。解り易くする為に“唯物論”(マテリ アリズム)と言う概念を取り上げます。
マルクスの頃は、未だ“神”の意思“神の創造意思”=神の 法則の影響力の強い時期だったと思いますから、認識の結果で ある“観念”と対立的概念として、“唯物論”を対置したので しょう。物質は生命、意識等の性質を内在していると考えると 、唯物論も観念論も論じる事が無意味になります。特定の概念 を基礎に置くという点が“科学”と全く異なります。科学は事 実に基くと言う考えも、仮説が先,後とは無関係です。
社会科学は混乱しています。欧米では社会科学とは言わず、 社会学と概ね呼びます。何故、概ねと言うのかと言うと、其処 が混乱している点です。社会科学関係の博士の称号に“doctor of philosophy ”と呼ぶ習慣は、社会科学は、未だ科学の範疇に入れていない という表れです。日本では、全て“博士”です。混乱の原因と して、プラグマチズムがあります。哲学と言えるかどうか疑問 です。生きて行く為のアメリカ的知恵とでもいえるかもしれま せん。
付け加えます。生き残る為、日本共産党も大いに取り込んで います。
此処で、強調して置きたい事は、社会(人間の意識を含む問 題)に付いて、科学的手法(自然科学的手法)を取り入れて行 く事が重要と言う事です。
私自身、実証して論じる事はで来ません。(神ではありませ ん)従って、実証される事を前提に論じる事にしています。も し、仮説と言うなら、この様な方法こそ仮説です。特定の概念 を基礎とした論理ではありません。