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最初に1/13、1/21のデモクリトスさんの投稿にコメント します。080127

2008/1/27 灯台守 自営業 自営業

 何はともあれコメントを頂いた事に感謝いたします。順不同 に成りますが、私も30年を超える党員経験があります。殆ど熱 心では有りませんでしたが、P費は払い続けていましたし、党 の新聞雑誌も長く取っていた時期もあります。デモクリトスさ んと異なり、私の場合は、其の選択の決着は付いています。党 員時代の選択は、全て自分自身の選択でした。現在は又異なる 選択を行っています。

 再度、社会の問題に自然科学的手法を取り入れる点に、賛同 を表明して頂き感謝いたします。

 政治は社会的問題です。社会問題を論じる場合、“科学的解 明”と“政治的政策”とは異なります。社会問題の科学的解明 は、社会全体をひっくるめた解明等不可能です。例え、それが “仮説”とは言え人間社会は、科学的には“複雑系”と呼ばれ ている問題です。問題点を分析して一つ一つ解決する以外に方 法は無い筈です。人間生命の仕組み、思考の研究、人間行動の 研究、社会心理の研究、判断に付いての研究、更に更に研究が 必要でしょう。

 デモクリトスさんの言われる、共産党の政策提案は、政治的 問題です。政治的問題は、個人を単位とした議論の結果の意見 集約でしょう。“民主集中制”は、決定が出た場合、反対であ った者も決定に従う事を意味します。もし勇気のある人なら、 論議の中で自説を披瀝できる権利は有る筈です。最も、多分、 正しい意見が通るとは思えませんが。問題なのは、自説を有利 に披瀝しようとして、仲間を増やそうとした場合、反党行為、 分裂主義者、日和見主義者、極左主義者等、レッテルを貼られ て、党から放逐されるのが落ちでしょう。

 私にはそんな勇気は有りませんでした。党の基本テーゼ、マ ルクス哲学を批判する事に成るからです。

 党の政治決定は、科学とは無関係です。党執行部の提案は、 政治的行動計画の提案です。多数で決定された党の行動綱領は 、失敗であっても批判は出難いでしょう。党幹部と多数派を相 手に論戦して、まともに論議出来るとは考えられません。私に はそんな能力と体力は存在していません。党の決定を“科学” と考えるのは筋違いでしょう。決定以前は“民主制”です。決 定以後は“集中制”です。従って、共産党の組織原則は“民主 集中制”です。この様な組織では、綱領を受け入れて入党した 筈ですので、其の点で意義申立人に大変不利に組織されていま す。最良の異議申し立ては、“離党”です。P費を納入しない 事。赤旗新聞、雑誌等を購入しない事。アルカポネは、FBI特 別捜査官によって消滅したのではないのです。アメリカ国税局 によって消滅されたのです。

 1/23投稿文に―哲学や科学は世界で始めて古代ギリシャで 生まれました。―と有ります。この点に付いては疑問です。“ 科学”をどの様なものと理解するかで、意見が分かれます。現 代の科学に繋がるものは科学的範囲に入れるなら、哲学的認識 論も認識論的推定も、されに、技術的経験知も科学的様相を帯 びています。私はyahoo blog「感性文化」に「科学の見方(1 )認識を離れて」と言う文を書きました。古代ギリシャでは、 人間の認識的知見によって、論議されました。“事実”の結果 を確かめる(実証)と言う手法は、科学の基本だと考えていま す。歴史的記録では、ガリレオが記録されています。

 次に、ギリシャの“自営農民の総意”を問題にしています。 ギリシャには多くの奴隷が存在していました。民主制は支配者 集団内の支配方式を決定する民主制だった筈です。奴隷の氾濫 を恐れて武器を持たせなかったのだと思います。日本にも村“ 寄り合い“、都市の“自治会“等、古代民主制的残存が残って います。中世では”堺町衆“、”越前、山城の国一揆“が歴史 に記録されています。古代の民主制はギリシャだけに起こった 現象では無いと思います。

 ギリシャ文化には、哲学が起こりました。日本では“万葉集 ”のような詩歌の文化が起こっています。ギリシャの文化は“ 自然”を分析的に見る“自然観”存在していました。日本文化 には、“自然”を分析的に見る視点は、起こりませんでした。 “自然”は美しいもの、恐ろしい物、“徒然草”的感性の世界 観が有りました。私は此れを日本の“感性文化”と呼んでいま す。“わびさび”の感性も含まれます。日本以外に発展しなか った“スーパーサービス”も日本の感性文化の育んだ性質です 。

 ギリシャの卓越した文化を否定するつもりはありません。ダ ーウインの進化論でも、生物は適応によって進化して来たよう です。ヨーロッパの文化も例外なく特殊化して進化しています 。其れを見る人と、見ない人では見解が異なる事に成るでしょ う。ガリレオは敬虔なキリスト者でした。ニュートンは宗教学 者でも有りました。両人とも、科学法則を発見しようとは思っ ていませんでした。敬虔なキリスト者として、神(クリエイタ ー、創造神)の作り賜もうた世界の神の意思(神の法則)を知 りたいと願った筈です。民主的世界と科学の発展とは、直接の 関係は不明です。共産党の誤りが反面教師に成る事も有り得る 事でしょう。次の機会にも続ける事もあります。