以前12/17の分に付いてはコメントしています。私は、さざ 波通信に投稿始めてから、“哲学、宗教、倫理観”に付いて否 定的意見を述べてきました。人文学徒さんの言われる哲学の大 潮流の全てに否定的です。12/9「人文学徒さんへ」と言う投 稿をさせて頂きました。人文学徒さんの投稿をプリントアウト させて頂き、私の意見を書きます。
全ての人は如何なる意見を持っていようと自由です。発表す る事も自由です。此処ではっきりして置きたい事は、個人がど の様な生活をしていようと自由です。他人の嘴を挟む余地は有 りません。さざ波通信で論じているのは、“個人の問題では無 く”、“社会的問題です”。人文学徒さんの“人格”と“意見 ”は区別して考えます。人文学徒さんの偉大さには興味が無い のです。人間は各人価値観を異にしている事を重要視してくだ さい。
12/5の投稿に、―私たち人間は生きているから哲学をする のであって、科学とか数学をやる為に生きているのでは有りま せん―と有ります。日本には明治期まで“哲学”は有りません でした。“感性文化”だったのです。“哲学”が無くても、立 派な“感性文化”作り上げてきました。“哲学”はギリシャや インドに発達した記録があります。ローマに伝わり、西欧から 世界に広まりました。“哲学”と言う思考形式は、本来、イン ドヨーロッパ語族に起こった、特殊な思考形態です。日本や中 国に起こった文化に、哲学ではなく“思想”と呼ばれる思考形 態が発展していました。所謂、人生哲学と呼ばれたりしますが 、哲学が自然観から引き起こされたのに対し、思想は、社会観 から生まれてきたものです。日本では哲学思想と呼ばれて、区 別が曖昧です。日本人の哲学者と呼ばれる人も多く思想化が含 まれます。若い頃読んだ、阿部次郎「三太郎の日記」等は主と して人生哲学(思想)であった様に記憶しています。
時代は進歩しています。過っての偉人でも、其の物の見方考 え方には現代的疑問が残ります。
哲学、倫理、宗教理論には、個人には兎も角、社会的問題を 処理する論点に誤りが見えて来ています。社会的問題を処理す る方法論として、哲学、倫理、宗教に無関係な、確かめられた (実証)、確かめられるであろう仮説を社会問題解決の手段と するべきだ、と言う論理が、私の主張です。
社会的に受け入れられれば、哲学のような特殊な思考法方は 、多く忘れられる事でしょう。
人文学徒さんの主張は、夫々に分かれて一つ一つコメントは 難しいと思います。以上のコメントで、人文学徒さんへの全体 的コメントに変えさせて頂きます。もし、個々にコメントを望 むなら、是非、問題を絞って論じてください。付け加えます。 古人が現代社会の問題解決の“解”を持っていたら、現在、問 題は消えている筈でしょう。古人の論は以上のコメントで私な りに否定したつもりです。