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灯台守さんへ

2008/2/8 人文学徒

 お返事をありがとうございました。僕の応えを書きます。少々失礼かも知れない言い方も混じりますが、そこはご容赦を。丸山真男が「傲慢な実証主義者」に対して持ったような気持ちは僕も共有していますので。

①僕の議論として「哲学的論理は、科学未解明の分野ではあっても良いではないか(と語っている)」といわれましたが、これは違います。 まず、こう語るならば近いかな。
 「科学未解明の分野が多すぎて、いわゆる『仮説』を立てなければ、社会のことなどは一歩も踏み出せないから、みんながそうしているはずだ」と。だから貴方自身も、現実にはそうしているはずだと。ここから、この「仮説」に関わって、僕が最初に述べたことでもあり、前々回丸山真男の言葉で示したことが出てきます。
 そういうそれぞれの「生き方」が本当のものかどうかは別として、その生きている有り様、諸タイプを説明するというようなことは、これも人間の哲学の一つの仕事であり続けてきたと思います。これを少しでも「学問的に」扱おうとすると「実証済みで既に分かり切ったことや諸仮説の体系」としてのそれなりの哲学が出てくると、こう言いたいのです。これについて、「そんなのはまともな問いとは言えない」とか、「形而上学的だ」と語って、頭から追い払ったり、完全に個人任せにしとけと言ってみたりしても、それでは済んでいかないのが人生だと言ってもよいでしょうか。
 こうして、哲学とは、世界や人間のありようについての分かり切った大事なことや諸「仮説」の中の重要なものやをそれなりにまとめ上げた体系のようなものだということではないでしょうか。多少ともそういう体系を持つ人なら、カトリック哲学の人々はそのように生きるでしょうし、マルクス主義の人も大なり小なりそのように生きていくということでしょう。人は現にそのように生きて行かざるを得ないから、そう生きているというのをそれぞれまとめあげて、諸哲学潮流ができてきたということです。

②そもそも貴方は、いつから、どういう一連の科学的発見があった時から、「それ以降は科学でかなりできるようになった。それ以前は『哲学』が幅を利かせていたのだけれど」と語られるような事態が起こったと、お考えなのでしょうか。大昔のことでも、実証信奉者であるはずの貴方が(かなり気軽に)語られるほどには、それぞれの時代で科学と哲学との区別は明確なものじゃまったくなかったし、上に述べたような「諸仮説の体系」は、これから未来もまだまだ存在せざるを得ないと、僕は考えているのですけど。
 例えば、八百万の神の世界だってそのどこが、当時の自然科学なのか社会観なのかと、どうやって実証的に分けられるのでしょう。木火土金水の世界も同じです。

 また、貴方が語るほどに実証的処理が社会や人生についても幅を効かせられる「ユートピアのような世の中」は、それが少々有効になるときがきたなというそういうときも遙か遙か遠い先の話だろうとも思うのです。それが生きていくこと、「実践」というものが存在する人間、人間社会というものではないのでしょうか。
 また、社会、人間個人には、実践で歴史に一定「新しい質」を作って、その説明がかなり後に出てくるとか、全くできないなんて、ざらにあることです。「実践が先で、説明は後」という事態は永久に続くことだとも思いますが。

③こうして、貴方にはこう語りたくなります。貴方の言われることは、単なる「願望」であって、現実には全く通用していない夢の世界を語られているのと同じと。「ほんのわずか」実証された範囲での自然科学の一部の世界は別として、社会、人間のことでは特にです。例えば貴方でも、価値観の「主張」無しで、あなたが語る所の「その部分は全く自由ですよ」という感じで、生きていらっしゃるとは僕には到底思えません。これを丸山真男は、先に挙げた言葉でこう語ったんだと思います。「実証を多く生活の中に通用させているつもりでも、事実はいっぱい価値観を滑り込ませているのに、それを自覚しない論議」と。もっとも、僕自身がそうではないとは言いません。あなたが、「ぼくと違ってどれだけ実証中心で生きていらっしゃるか」は、是非見てみたいものだと言うようなものです。

④なお、哲学一般を批判することと、日本共産党の哲学を批判することとは別の話だと付け加えたいと思います。日本共産党を批判するなら、こう語るだけで十分でしょう。
 「しょっちゅう間違ってきた『理論』を、科学的社会主義などと言うなよな。しかも、どう弁解しようと、実質不破哲三氏(昔は宮本顕治氏)の解釈によるそういったものにすぎないのに。なおおまけに彼は、昔語ったことで間違いとはっきりしたことへの責任も取らないときている。で、内部だけでは相変わらず『教祖様』だ。彼の権威のためにも、教祖様のお眼鏡にかなわないどんな政党とも協力できないという弊害すら存在するのではないか」