「志布志事件は冤罪と呼ぶべきではないと、私は考えていま
す。(略)「角を矯めて牛を殺す」ようなことがあってはなりま
せんので、十分な反省の上に立って、一層活発に、積極的に、
前向きに、検察官としての活動をしてくださいますように、心
からお願いして、ご挨拶いたします。」
これでは、「捜査の過誤などどうでもよい。捕まえた被疑者
はかまわず処分してしまえ」と言っている等しい。
また、これでは冤罪は「全く別人を逮捕し、服役後に真犯人
が現われるなど100%濡れ衣の場合に限られる。」ということに
なる。
鳩山法相は、権力も財力も無い被告人に100%自分が犯罪を犯
していないことを立証する責任があるとでも言うのだろうか。
検察は、被告人が間違いなく罪を犯したことを証拠で立証す
る責任がある。しかし、被告人には自分の無実を立証する責任
は無い。
鳩山法相の言う通りなら冤罪事件などほとんど無いことにな
る。
鳩山法相の言っている事は、疑わしきは、罰せずの刑事裁判
の考え方を根本から否定するものだ。
法務や検察の権力乱用をチェックするのが法相の役割なので
はないだろうか。
しかし、鳩山法相は誤った捜査、検察権の行使を問題にして
いない。このような人間が法相をしているならば、不法な捜査
が何度でも繰りかえされることになる。
ましてや、「志布志事件」は冤罪と言うよりも全くの「デッ
チアゲ」としか表現しようがない。
法相の署名無しの死刑執行にしても、人権意識のカケラも無
い鳩山氏に法相の資格は無い。