哲学の諸潮流について・日本の感性文化について
日本で普通にいわれる哲学とは、主にドイツ風の哲学のこと
ではないでしょうか。カントやシェリングやヘーゲルなどの哲
学者が思弁的に論ずる哲学のことです。ドイツ語で自然哲学N
atur-philosophieといえば、こういった哲学
を指していました。
それに対して、イギリス風の哲学でnatural phi
rosophyといえば、物理学のことなのです。イギリスで
は、「自然現象の中でも最も自然観に関わるような理論的に興
味のある事柄を扱う学問」がnatural phiroso
phyだったのです。
ですから、日本では、人文系の人たちが哲学という場合は、
ドイツ風の哲学を指すことが多いように思いますが、科学者が
哲学的という場合は、イギリス風の哲学を指すことが多いので
す。
灯台守さんが否定する哲学とは、ドイツ風の思弁的な哲学の
ことではないでしょうか?
江戸時代までの日本に哲学がなかったというのはそのとおり
だと思います。というよりもアリストテレスのように森羅万象
すべてを明らかにしようとした人はいなかったといえると思い
ます。アリストテレスは実に10の証拠をあげて、地球が球状
であることを証明しました。事実をよく知っていて、事実を元
にして議論を組み立てました。またこんな風にも言っています
。「魚は呼吸しているという人がいるが、それは嘘だ。呼吸と
いうのは吸って出すものだが、魚をよく見てみると、吸っては
いるけれど出している形跡がない。だからあれは呼吸ではない
。」というのです。そんな風にすべて絶対に正しいという風に
証拠をあげて論じたのです。そして長い間ヨーロッパでは、ア
リストテレスは絶対的な権威だったのです。
それに対して、ガリレオは、アリストテレスは「物を高いと
ころから落とすと重いもののほうが速く落ちるに決まっている
。」と言うがそんなことはないと考えて、物体の落下運動の法
則を発見したのです。こう考えると、ヨーロッパに科学が発展
したのは、アリストテレスのおかげといってもいいように思う
のですが、どうでしょうか。