かって、労働組合の書記長をしていた時、組合員の“信号無 視“裁判の”特別補佐人“(弁護人の代理)をした経験があり ます。組合ではそれ以前に、組合員の”業務上過失傷害事件“ の裁判を弁護士さんを立て争った経験がありました。此の時の 検事と私が特別保佐人を引き受けた時と同じ検事でした。”思 想検事“と言うのが有るのかどうか不明ですが、奇妙な一致で した。
アメリカでは“陪審員制度”を選択する事が出来る制度があ ります。陪審員は有罪か無罪かを独自に決定します。日本で採 用しようとしている“裁判員制度”は、素人から選出した“裁 判員”と専門家の裁判官の合議によって罪状罪科を含めて判決 を決定します。素人の裁判員と専門の裁判官には、知識と経験 に大きな差が有ります。自立した個人による民主制を目指す私 には、アメリカの陪審員制度が有益に思えます。裁判員制度は 、以前から裁判官の判決と、マスコミを通した国民感情に乖離 があり、それを埋めようと司法当局が考えた制度ではないでし ょうか。専門家と素人を同じ土俵で論議させ、司法当局と国民 との判決に対する批判を回避使用と考えたものではないでしょ うか。
私的にはそれ以前に、“法曹一元化“(裁判官、検事、弁護 士を自由に入れ替える。)を優先すべきである様に考えます。 更に、法曹人を増員し、陪審員制度(対等な立場で論議できる 制度)を採り入れるべきではないかと考えています。裁判官は 裁判官、検事は検事で固定していては、所謂、官僚化システム として固定されています。社会システムの自由化が必要だと考 えます。
近く、日弁連の会長選挙が裁判員制度を争点に行われます。 陪審員制度に反対する高山俊吉先生にエールを送ります。以前 、ほんの少しお手伝いした経験があります。がんばれ。