さとうさんの投稿文は何時も読ませて頂いています。私は基 本的に知識と政治は分けて理解する様にしています。知識は政 治的部面では、参考としての役割に成るかと思っています。現 代の知識体系は混乱しています。多分、西欧文明の否定的部面 が表面化して来た結果ではないかと思います。
原水爆禁止運動は知識に分類される理論と政治とがぶつかり 、政治課題としての原水爆禁止運動に否定的影響を及ぼしたも のでしょう。ひとつの“理念”を掲げて政治に対しようとする と“他の理念”とぶつかります。目的である“政治的課題”は 横に置いた争いが提起されて、目的を失う結果と成ります。
3/1の「ビキニデーに当たって」を読んでいて、そんな感想 を持ちました。政治を科学で解決出来ないか、とのデモクリト ス氏の問いかけにも通じるものと思います。政治は自立した個 人を単位に、民主的に進めるべきだと私は思います。政治的主 張を異にしても、政治的課題が共通するなら、其の時点での共 同が成立する社会を、目指すべきではないかと思います。
一方、知識体系や理論は民主的に決定されるべきものではな いでしょう。政治には知識体系が大いに参考にされるべきです が、現実には、其の間に倫理観が作用して来ます。自己や自己 を含む団体の利益が優先してしまう事を言っています。基本的 には、その様な時は論議を尽くし解決されるべきであるとは思 いますが、現実には、“感性社会“の日本では”建前論“が横 行して、利益追求へ進みます。欧米でもディベートとは、その 様な状況に対応して発展して来たのでしょう。
私の役割は年齢や現実から“知識体系の混乱”を正す役割が 適当でしょう。佐藤さんには“理念”に拘らず、政治課題、優 先的政治課題で進んで欲しいものと思っています。原水禁運動 のみならず、労働運動、スポーツ運動、趣味の会、NPO,NGO等 多くの部面が有りますが、課題を優先して行動をして欲しいと 思います。