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2月26日、大阪高裁で、「館長雇止め・バックラッシュ裁 判」の控訴審初法廷

2008/3/19 さとうしゅういち 30代 サ ラリードパーソン(連合組合員、社会市民連合、民主党員)

 2月26日、大阪高裁で、「館長雇止め・バックラッシュ裁判 」の控訴審初法廷がありました。

 大阪府豊中市の男女共同参画推進センターすてっぷの全国公 募の館長・三井マリ子さんが、豊中市と(財)とよなか男女共 同参画推進財団を相手取って損害賠償を求めて訴えている訴訟 です。

 26日の控訴審では、控訴人三井マリ子さん本人による意見 陳述と、三井さん側からの「控訴理由書」が提出されました。 三井さんの陳述は10分程度でしたが、満席となった74号法 廷の傍聴席のあちこちから、すすり泣きが聞こえ、陳述が終わ ると、自然に拍手が出ました。

 一審によると、2002年秋ごろから、豊中市議・北川悟司 さんらバックラッシュ勢力(男女平等推進に逆流する組織的動 き)が、すてっぷと三井さんへの誹謗中傷を開始しました。北 川さんは、土屋敬之都議らとともに教育問題での「ネオコン」 ぶりで名をはせていた人物で、豊中市が予定していた男女共同 参画推進条例案に徹底して反対を貫いていました。三井さんの 主張によると、豊中市は当初三井さんを守る姿勢を見せたが、 2003年度に入ると、市は北川議員らと密約を結び、9月議 会で男女共同参画推進条例を通してもらう代わりに、三井さん の身分が非常勤だったことを悪用し、館長排除を画策しました 。

 豊中市は、2003年秋、「組織強化」と称して、非常勤館 長ポストそのものをなくし、常勤館長に変更すると言い出しま す。一方、市から派遣されていた事務局長の山本瑞枝さんは、 三井さんに「(常勤になったら)第一義的には三井さんです」 と嘘をついて安心させます。その裏で、市は、後任館長探しを 極秘裏にスタート。2003年12月には、常勤館長を当時寝 屋川市非常勤職員だった桂容子さんに内定してしまいます。桂 さんに対しては、「三井さんは3月で辞めることになっている 」と嘘をついていました。

 2004年1月の寝屋川市広報に、桂さんの後任ポストの公 募記事が掲載されるなどから市民が豊中市長への抗議活動が始 まったことや、三井さんが「常勤館長をやる意思がある」と表 明したことから、市は常勤館長の選考試験をすることを決めま す。2004年2月、三井さんは一縷の望みを託し受験します 。

 しかし、「選考委員」の一人は、後任人事に奔走し、2月も 前に桂容子さんに常勤館長就任を確約していた本郷和平・市人 権文化部長(当時)でした。

 案の定、三井さんは不合格とされ、2004年3月31日で すてっぷを去ることになりました。三井さんは2004年12 月に提訴。しかし、2007年9月12日、大阪地裁は、原告 敗訴の判決を言い渡し、三井さんが大阪高裁に控訴していたも のです。

 冒頭、控訴人の三井さんは、以下のような意見陳述を行ない ました。

「嘘に嘘を重ねた豊中市から人生を翻弄され、人間としての不 誠実さに苦しめられた」
「しかし、1審判決は、苦しみを倍加するものだった」
「その苦しみは、非常勤職で働く人たちの苦しみ、バックラッ シュ攻撃に疲弊している全国の人たちの苦しみ」
「豊中市からも財団からも評価こそあれ、私の仕事には批判ひ とつなかった」
「本来男女共同参画推進の先頭に立つべき市が、男女共同参画 行政を誠実に実行してきた私を排除した。」
「一審判決は、10発殴られれば違法と認めてやるが、5、6 発なんだから我慢しろと言うことに近い」
「すてっぷは館長不在のまま1年以上がすぎ、バックラッシュ の狙い通りになっている」

などの、言葉の一つ一つに迫力がありました。三井さんが、「 すてっぷ」での仕事にとてもやりがいを感じていたこと。それ なのに、バックラッシュ議員らの圧力に、男女平等を推進すべ き市が屈し、そのために排除され、やりがいのある仕事を奪わ れた無念さ。そして、一審判決により、再度落胆させられたこ とがよく伝わってきました。そして、この問題は、日本に今は びこっている非常勤問題やバックラッシュ問題に苦しむ人たち の苦しみでもあるから不当判決を甘受するわけにはいかないの だ、という強い意志を感じました。

 控訴人三井さん側から26日の法廷に提出された「控訴理由 書」は、86ページ、65000字以上の重厚なものでした。 また、弁護団の寺沢勝子弁護士は、第一審で法的争点としてな かった「人格権侵害」の問題で、あらたに書面を提出すること 、さらには、二人の法学者が鑑定書を5月ごろまでに提出予定 であることなどを発言しました。

 次回公判は、6月5日午後1時(ころ集合)の予定です。