総選挙へ向けた共産党の「大運動」は成功しているだろうか 。3月6日付け「しんぶん赤旗」に志位委員長の常任幹部会報 告が掲載されていて、そこでは綱領路線の正しさと大運動の成 果が強調されていた。しかし、5中総の読了が50パーセント に達していないことも述べ更に徹底をと呼びかけていたところ をみると、なかなか思うにまかせないといったところかもしれ ない。
「しんぶん赤旗」には、5中総決定を読めば「胸にスーと入 る」などと載っていた。だが、私も読んでみたが特段のことを 書いてあるわけではない。内容にも疑問がある。例えば、参議 院選で共産党が勝てなかったことに志位委員長は冒頭詫びの言 葉を述べているけれども、得票率では基本的に前回を維持した として自己評価をしているから本音では居直っているみたいだ った。引っかかるのは民主党の躍進を、「自公の批判票の受け 皿にはなったが、路線的な対抗軸を示したわけではない」と強 弁し、一方で「国民が自公政治に変わる新しい政治の中身を探 求する新しい時代、新しい政治プロセスがはじまった」と、第 3者的・評論家的分析をしているところだ。確かに地方では自 民党の支持層が溶解し始め、新しい選択を模索するうねりが始 まった、ということは実感する。だが無残な負け方をした当事 者の総括として適切か。新しい政治プロセスが始まったはいい けれど、そのプロセスにからむどころかはじき飛ばされたのが 共産党ではなかったのか。根拠もないのに「全体として論戦で はリードし、重要な役割を果たした」も、その自己評価の甘さ にびっくりしたした次第だった。
民主集中制のもとでは、どんな結果が出ても下部から突き上
げられることはない。個々の批判が量として上に届かない。だ
から指導部は自ら立てた指導方針の正しさの再確認と、更に下
部への督励に全力を費やすだけだ。論理に隙間があってはいけ
ないと思うのか、冗舌の限りをつくす。実際、共産党の方針ほ
どだらだら長いものはない。しかし、結果責任を棚上げしてお
いて下部を駆り立てるだけの作文だと党員には分かっているか
ら、いくら上から督励されてもなかなか読む気になれない。本
気にもなれない。イエスマンに徹して党のエリート階段を上が
ってきた党官僚にはこの原理が理解できないのだ。
指導部の督励を受けた中間機関も同じことを繰り返す。指令
は下部へそして更にそのまた下部へと、神経系は常に中枢から
抹消へ機能する。しかし中間機関は指導部のご機嫌も伺わなけ
ればならないから、どこそこの地区では前進が始まっただとか
、大志とロマンに奮い立った、などの感動美談が「しんぶん赤
旗」に載る。共産党の組織原理は奇妙なことに、戦前の日本陸
軍の無責任組織に似通っている。放っておけば党員の党への帰
属意識も活力も減衰する。しかしその最大の原因が、党内の自
由な言論表現に縛りをかけている民主集中体制そのものだから
始末が悪い。
私もかっては党の末席に連なっていた一人だった。その頃、
上からの指示があるたびに仲間同士で寄り合い、決議等を機械
的に回し読みしたものだった。お仕着せの作文を輪読するのは
苦痛でしかたがなかったが。
ただ、こんな私がそれなりに党員を続けられたのは、現実の
社会事象に向き合う共産党の姿勢と赤旗報道姿勢を評価してい
たからだった。評論や解説なども概ね好感をもっていた。同意
できないことや違和感をもつことももちろんあった。その最た
るものが民主集中制であり、運動では原水禁問題などであった
。またよく赤旗に登場する文化人、言論人がある日突然紙面に
現れなくなるといったことも見てきたし、紙面に登場しない民
主的な文化人、言論人もたくさんいた。これは多くの場合、一
般雑誌等で共産党をちょっと批判したとかが原因ということを
後から知ったが、時折目に付く共産党の独善や狭量や時に決別
したかっての仲間を裏切り者よばわりする記事は、とても知性
の共産党とは言えたものではないと思ったことだった。ただ、
こんなこのとの繰り返しのなかでも、赤旗や関係書籍に載る識
者や論客の折々の文化、政治、社会時評の多くは私の共感する
ところであって、このことが私と共産党をつなげてきたと思っ
ている。
ところがそんな私も考えるところがあって党から離れること
にした。党員を続けながら民主集中制を考え続けてきたが、結
局のところ自分の信じる民主主義とは異質のものと思うように
なったからだ。
昨年の夏ごろのことである。共産党の民主集中制の問題で興
味深い論争があったことを覚えている人も多いと思う、。久方
ぶりに「文芸春秋9月号」の「日共のドン宮本顕治の闇(立花
隆著)」と「しんぶん赤旗」の「闇から出てきた亡霊(岡宏輔
氏署名)」』の間で応酬があった。あらためて思ったのは、共
産党にとって、民主集中制と「スパイ査問事件」を蒸し返され
ることほど苦々しいことはないらしい、ということであった。
立花氏は民主集中制はこの民主主義社会にはあり得ない組織
体制であるとして、容赦ない批判を加えていたのに対して、岡
論文は、「さすが特高史観の持ち主」だとして古臭い反論を試
みていた。また立花氏が引用していた証言者(元常任幹部会の
筆坂氏)に対しても、岡論文は「虚構と妄想の作り話」をする
人だと決め付けていたが、いくら論敵への反論だとしてもこれ
はひどすぎると思ったことだった。
ネットの「メディアソシオーポリスティックス」や雑誌月間
「現代」の「私の護憲論」などを見るまでもなく、立花氏は「
特高史観の持ち主」どころか戦後の憲法価値観をもっとも高く
評価する言論人だ。昨年の「現代10月号」では、「安部晋三
への宣戦布告」なる檄文調の一文を読まれた方も少なくないだ
ろう。終戦記念日に東大安田講堂で「8月15日と南原繁を語
る会」を企画したのも立花氏だった。この会には「九条の会」
の大江健三郎氏等、当代の論客が参加し大反響を呼んだことも
耳新しい。
また筆坂氏の件に関しては、著作の中の「不破氏による宮本
引退勧告」の下りを取り上げて「虚構と妄想の作り話」をする
人に仕立て上げていた。しかし不破氏自身が宮本元議長邸へ何
度も出向いたことを明らかにしているから、その時期に思い違
いがあったとしても、事柄の本質は虚構でも妄想でもない。こ
のように岡論文こそ虚構と妄想の産物だったのだが、更に肝心
の民主集中制擁護の内容も、ただ規約の一部分をなぞるだけ、
表現の自由を規制する規約やその運用面の実態にはまったく目
をつむったお粗末なものだった。
私は先に赤旗その他の書籍に載る多くの識者や論客の評論に
共感したと書いたが、党に盲従するだけのエリート党官僚の論
文ほどくだらないものはない。署名論文を著すくらいだから岡
氏は理論面のエリートかもしれない。が、内容は宮本元議長の
名誉を守る目的だけだった。実際、「スパイ査問事件」なる当
事者しか知りようのない昔の事件に関して、共産党の定説とは
違った考えの人がいても特段不思議ではあるまい。共産党の定
説に疑義を持つ人は敵だというのであれば、共産党に国民的支
持が集まるはずもあるまい。何が何でも異論を許さない民主集
中制の弊害の最たるものと思った次第だった。
かって本欄で「さつきさん」が、民主集中制を維持する規約
上の非民主的条項とその運用に関して、鋭い分析と批判を行っ
ていて私もまったく同感したことだった。ただ残念ながら、「
さつきさん」は選挙規約には触れっていなかった。民主集中制
とは言い換えれば人事権を掌握することと同義語なのだが、そ
の人事権を掌握する巧妙な仕組みが選挙規約の中にあって機能
している、と私は思っている。その選挙規約について私なりに
述べてみよう。
共産党には規約第3条(3)項「全ての指導機関は選挙でつ
くられる」があり、5条(3)項には、党員は「選挙し選挙さ
れる権利」があり、規約13条には、「選挙人は自由に候補者
を推薦できる」等の立派な選挙規約が備わっている。だから選
挙は全て党員に開かれて平等・公正に行われるものと一般的に
思っているようだが実はそうではない。
共産党規約13条の中には、変な文言が混じっている。「指
導機関は次期委員会を構成する候補者を推薦する(できるでは
ない)」の文言だ。何故変かというと、同13条の中には、「
選挙人は自由に候補者を推薦できる」という普遍的な文言があ
るから、普通ならこれで十分なはずなのに、わざわざここに導
機関を持ち出して、その指導機関に役員候補者の推薦を「義務
付け」ているからだ。言わば機関に優越的な特権を与えている
のだが、これは何故だろう。
一言で言えば、党員個々の権利よりも機関を上位に置く共産
党独特の原理がこうさせているのだが、しかし一般的に「機関
」とは、その組織構成員が業務執行を任す役職であって、その
「機関」に「次期機関の構成員を推薦する」権限を与える等と
いった馬鹿なことはない。立候補することと選挙される権利は
誰も平等であるからだ。ところが共産党だけは機関に優越的権
限を与えている。要するに、共産党の場合、指導部が「この人
」と認めた人、指導部の「メガネにかなった人」でなければ役
員になれない仕組みを、規約上明文化しているのだ。
建前として共産党の役員選挙は自由選挙となっている。しか
し、その建前とは裏腹に実態は指導部が候補者を事前に「選定
・審査、定数丁度に調整」する。この事実上の任命制が共産党
の民主集中制を維持するひとつの要素になっていると私は思っ
ている。
かって共産党はソ連の崩壊を歓迎した。しかし、今も最悪の
人権抑圧の中国や北朝鮮の党と同じ組織原理を維持している限
り、国民の理解を得ることは難しいだろう。民主集中制を放棄
し、国民政党に脱皮することによってのみ、初めて国民はこの
党にもチャンスを与えてみようと思うのではあるまいか。
と、ここまでこの稿を書いてきたとき、チベットのラサで大 規模な暴動が発生したことを知った。その後メディアの報道ぶ りを注視してきたが、友党中国共産党への配慮だろうか、「し んぶん赤旗」の報道ぶりは当局発表に偏重し、一般紙と比べて も著しく抑制的だ。客観報道に徹しているともとれるが、それ なら亡命政府の声明や西側メディアから伝わってくる現地の生 々しい状況も伝えるべきだ。指導部の政治的な意向によって記 事が偏向しているとすれば残念だ。批判の矛先がアメリカだろ うが中国だろうが、暴力と抑圧には断じて反対する姿勢を貫か ないようでは正義の党とはいえないと思うのだが。
補足
最近、本欄への投稿が以前と比べれば随分減ってきたように
思う。かっては現実政治や共産党を生き生きと論ずる内容のも
のが多かったが、残念ながら今では随分少なくなった。特に過
去には共産党の民主集中制や対抗戦略を鋭く批判する優れた論
考が多かったが今ではめったにお目にかからなくなった。そう
した論考が減っているのはとても残念なことだ。
私は二極化する政治状況の下で、共産党や社民党がこのまま
地盤沈下していいとは思っていない。何とか共産党には変化を
してもらって影響力のある政党になってもらいたいと思ってい
る。そのためにも共産党の民主集中制をもっともっと論じなけ
ればならないのではあるまいか。民主集中制に関してはすでに
論じ尽くしている感がしないでもないが、理論や規約などのそ
の不合理な面はもちろん、党員や元党員の生きた体験などをど
んどんこのサイトで発表することによって、さざなみがやがて
大きなうねりになるかもしれないことを期待したい。「さざ波
通信」を共産党中央が歯牙にもかけないようなサイトにしては
いけない。そのためにもかっての論客達よ、再びこのサイトで
健筆を振るってください。及ばずながら私も少しずつ参加させ
ていただこうと思っていますので。