「鞆の浦の埋め立て架橋問題」。そして「福山城」の遺構保存問題。
この2つの問題にから4月6日投票の福山市議選候補の多くは「逃げている」といわざるを得ません。
■世界に誇れる「鞆の浦」をどうする?
「鞆の浦」は福山駅から「鞆鉄バス」で約30分。瀬戸内海
の中央に位置し、潮がぶつかりあう場所だったため古代から「
潮待ちの港」として栄えていました。ここで、いったん船を停
泊させ、潮の流れが変わったら、動き出したのです。
大伴旅人。幕府を開く直前の足利尊氏、織田信長に追放され
た後の足利義昭。朝鮮通信使、ペリーや坂本龍馬など歴史を動
かす大物たちもこの地に滞在しています。
北畠顕家に惨敗して西へ落ち延びた足利尊氏はこの地で光厳上
皇の「新田義貞を討て」という院宣を受け、盛り返しました。
義昭は、晩年をこの地で過ごしました。「室町幕府は鞆に始ま
り、鞆に終わった」といえます。また、坂本竜馬は、この地で
、初めて、万国公法(国際法)に基づく「海難審判」を、紀州
藩相手に行い、勝利しています(いろは丸事件)。
そうした、歴史上の名勝の港を、県および市が埋め立て、橋
をかけるという計画があります。
目的は、渋滞対策で、市側は「大多数の住民の賛成は得た」と
しています。だが、実際には異論も根強いのです。例えば、「
橋がかかれば景観が台無しになり観光資源の魅力が失われる。
橋は所詮、通過交通を捌くもので、鞆の繁栄にはつながらない
」というもの。「渋滞を解消したいなら、山側にトンネルを作
ったほうが安上がり」という指摘もあります。
そして、国際記念物遺跡会議(イコモス)も2005年10月
24日、鞆港埋め立て・架橋計画について、国、広島県、市に
同計画の放棄を求める決議を採択しています。
http://www.sawasen.jp/tomonoura/tomonoura/topics04.html
さらに言えば最近、道路建設の裏づけとなる「道路特定財源」
廃止を福田総理でさえも主張する中、このまま事業を強行すれ
ば、財政面での不安も拭えません。
議会ではたしかに、建設へ向けた費用を含む予算を可決するな
ど「一度結論は出た」話です。しかし、「ゼロベースで事業を
見直す」という流れも広がっています。一度結論を出したから
と言って、それを議論すらしないのであれば、むしろ非常識で
す。
■福山の顔「福山城」をどうするか?
福山城はJR福山駅の北口にあります。
徳川家康の腹心・水野勝成が築城した福山城。その城下町で
ある福山は、江戸についで日本で二番目に水道が整備されたと
いう、歴史的な価値がある町でもあります。
第二次世界大戦で天守閣などが焼け落ち、戦後再建されまし
た。しかし、大変再建の仕方は不正確なもので、年配の方にう
かがうと、「全然戦前と違う」とおっしゃいます。
しかし、最近、石垣などお城の古い遺構が次々と発掘されてい
ます。福山駅周辺はまさに、福山の「顔」です。
現在、福山駅の南口では、おおがかりな広場の整備が行われて
います。この工事現場でも、水野勝成が築造させたお堀と石垣
の跡が出土しています。
市は、この広場に、発掘された石垣を使った高台を設ける計画
を2006年度末ごろ出しました。しかし、これでは、遺構は
ほとんど生かされない、と遺構を重視する市民団体などは反発
しています。歴史的な遺産を活かし、どのような福山駅周辺を
つくるのか?まさに、もっと議論されてしかるべき問題です。
参考サイト
http://www.sannomaru.com/ishigaki/
■「当たり障りのない」ことしかいわない候補が多い
選挙広報では各候補ともに「福祉の充実」「子どもたちに優
しい」など当たり障りのない公約を掲げています。この2つの
課題のどちらかに触れている候補は広報を拝見したところ、五
十一人中わずかに七人です。これでは判断材料が乏しいといわ
ざるを得ません。
「支援組織の中で意見が割れる課題」に言及するのは選挙に
不利である、というのもわからないではない。大事な争点を回
避しておいて、「白紙委任状」をもらい、市長が出す方針を追
認してきた市議たちの大半に疑問を感じます。
また、選挙広報はスペースが狭いのは確かです。それならば
インターネットという手があります。例えば、ご自分のホーム
ページに見解を載せる、と言う手もあります。しかし、残念な
がらそういう候補者も少ないのです。