自衛隊イラク派遣反対のビラを配るために自衛隊宿舎に立ち入ったとして、住
居侵入罪に問われた市民団体のメンバー三人の上告審判決が、4月11日にあり、
最高裁は三被告の上告を棄却した。全員罰金刑とした二審の逆転有罪判決が確定
する。
最高裁はビラの内容と関係なく、ビラを配るという表現の「手段」の是非に
ついて検討。「表現の自由の行使でも、官舎の共有地に管理権者の意思に反して
立ち入ることは、管理権を侵害し、私的生活の平穏を害する」と指摘した。
さらに官舎の敷地がフェンスで囲われ、出入り口などにビラ配りを禁じた掲示
があったことを重視。住民から被害届が出されており「被害が軽微とはいえな
い」と述べた。
判決はビラの内容ではなく、配布の妥当性のみを検討したことを強調してい
る。しかし、住民が出した被害届も、官舎管理担当の自衛官が「警察が代筆した
ものに押印しただけ」と証言している。また、検察は起訴後に「自衛隊関係者の
住民に精神的脅威を与えた」とビラの内容を問題視した起訴と明言。宿舎では商
業宣伝ビラが投函され、放置されていた。
このことからも、今回のビラが政府に批判的だったために狙われたのは明らか
だ。この「立川反戦ビラ配布事件」以来、管理人から断られたり、市民団体が活
動を控えるなど国の狙った「萎縮効果」発揮されている。
ビラ配布は、市民にとって有用な伝達手段であり、受け取った側は不要なら捨
てられる。そんな穏やかな行為を「罪」として逮捕され、七十五日も拘置され
る。会社員ならば、解雇されるだろうし、中小企業ならば、倒産の危険もある。
こうしたほとんど実害のない微罪での逮捕が合憲と判断されれば、国家権力に
よる恣意的な摘発が可能になり、政治弾圧につながることになる。そして、戦争
を始めとして政府にに批判的か、政府に無条件で服従しない思想や言論は一切許
されなくなる。
アムネスティ日本が、2008/4/11-日本:「立川テント村事件」の最高裁判決と
懸念という以下の声明を発表した。
http://www.amnesty.or.jp/modules/news/article.php?storyid=467
それにしても、ビラの戸別配布で検挙されるとは。
新日和見主義事件以前は、アメリカのベトナム侵略、大管法、安保、原水禁、
沖縄返還など色々な課題で、駅頭、街頭、大学の門前、地域などでの、署名、ビ
ラ配りなどは年中行われていた。
駅頭、街頭の場合は、道交法違反の脅かしはあった。しかし、地域での署名活
動やビラ配りは常時行われていて、その為の、検挙などは考慮した覚えはない。
原水禁の署名で地域に入った時などは、「ここは警察の官舎よ。誰も署名しない
わよ」と言われて無駄だと思い退散した事があるが、その時も、通報されて検挙
されることなど考えもしなかった。
新日和見主義事件以後、活動が選挙や党員.機関紙の拡大だけに追われて署名
やビラ配りなどが日常的に行なわれなくなったこと。
言い方を変えれば、署名やビラ配りが当たり前の事と認識されなくなったこ
と。これもこのような判決をもたらした、一因だと言っても言い過ぎではないと
思う。
新日和見主義事件以前のように、署名活動やビラ配りが、地域で当たり前の権
利として定着していたならば、そもそも、このような「事件」起きなかったので
はないだろうか。既に定着していた権利を形骸化させてしまったこと、その責任
は共産党にもあると思うのですが。
私は、今住んでいる場所に引っ越してから十年が経とうとしています。けれど
も、共産党のビラが郵便受けに入っていたのを一度も見たことはありません。こ
ういう言い方をすると、共産党の影響力が無い地域だと思われるかも知れませ
ん。しかし以前に中選挙区の時代には、衆院、参院で議席を獲得したことがある地域
なのです。それにもかかわらずビラが郵便受けに入っていたのを見たことがない
ですし、自宅で署名を求められたことは、一度もないのです。