2009年5月までに導入が予定されている裁判員制度に向け、死刑判決をど うとらえるか、良識を結集し共通の世論を形成していくことが求められている。 自公政権の鳩山邦夫法相が死刑について行った発言の異様さや、それに続く死刑 執行の連続と先立つ声明は、死刑制度に関する国民の怒りをもたらした。
相次いでマスコミが報道する凶悪犯罪と死刑執行との間には、解明され分析さ れねばならない課題が残されている。死刑は犯罪防止の抑止力とは成り得ていな い。また、犯罪を犯した者の更生や犯罪の原因の除去にも成り得ていない。罪の 対極にあるものは罰ではない。罪の贖いである。罰は被害者感情と社会犯罪抑止 のための見せしめと恫喝の手段として執行されている。ここに、人間の根本的な 権利に基づく死刑否定論との距離がある。日本社会は国際的に広がる死刑廃止の 潮流に対して、むしろ逆の動きを見せている。
企業から学校まで生存競争と格差社会の病理が広がる。少数派の見解はたたき つぶし、根拠や論議のないままに多数派を形成とする。国会や政党から子ども社 会にまで及ぶ異常な心理状況が広がっている。
死刑は終身刑と異なり、執行後や時効後に真犯人がわかっても、冤罪は永遠に 救済されない禍根を残す。死刑制度があっても、十分な裁判と最終判決確定後の 再審の周到な保障とは、すべての人間に保障される権利である。歴史は、世界人 権宣言や国際人権規約によって、そのことを21世紀に生きる民衆に保障する段 階を用意した。
にもかかわらず、犯行についての吟味や犯罪の背景の社会的状況の分析を看過 するセンセーショナリズムに乗せられ、盲動軽挙する大衆心理がいまの日本を 覆っている。いまのまま「裁判員制度」が導入されることの問題性は、さらに議 論されねばならない。