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いけめんなしいさんへ(民主集中制について1)

2008/5/24 風来坊 50代 自営業

 ローザ・ルクセンブルグの「ロシア社会民主党の組織問題」を取り上げてみたいと思います。以前ならば、レーニンは革命に成功した。ローザは失敗し虐殺された。ということで、ほとんどローザのレーニン批判は無視されてきました。
 しかし、コミンテルン型の社会主義国はほとんど崩壊し、社会主義と言えるのは、キューバくらいものです。今後の平和運動、社会主義、民主運動の発展を考えた場合、ローザのレーニン批判は、その為の一つの参考になると思います。この批判は、共産党にも、そのまま当てはまると思います。これはレーニンの「一歩前進、二歩後退」に対する批判です。

「ロシア党大会を前にして、「イスクラ」が繰り広げたカンパニアにおいて、それの卓越した指導者である同志レーニンの著作がわれわれの手もとにあるが、その著作は、ロシアの党の超・中央集権的な方向を組織的に表現している。ここに強烈に、徹底して表現されている見解は仮借ない中央集権主義のそれであり、それの根本原理は、一面では、はっきりした活動的な革命家たちを、かれらをとりまく、未組織であっても革命的・積極的な環境から、組織された軍団として、抽出・分離することであり、他面では、党の地方組織の発現形態に中央機関の厳格な規律と、それの直接的な、断乎として決定的な関与を持ち込むことである。それには、次のような例をあげれば、充分だろう。つまり、この見解に従えば、中央委員会は、党のあらゆる部分委員会を組織し、従って、ジュネーブ、リュティッヒからトムスク、イルクーツクに至るまでの、ロシアの個々の地方組織の全ての人的構成をも決定し、お手盛りの地方党則をそれにあたえ、上からの命令でそれらの組織を解散させ、或いは作り出し、ついには、こうしたやり方で、最高の党判定機関・党大会の組成も間接に左右する、という権能を持つ。その結果、中央委員会が党の根源的な活動の核となり、残余の組織は全て単に、それの実行の道具として現象する。」
 「社会民主主義的運動は、階級社会の歴史上初めて、運動のあらゆるモメント、そのあらゆる過程において、大衆の組織とその自立的直接的行動を考慮におく最初の運動である。
 この点で、社会民主党は、これ以前の社会主義的諸運動、例えば、ジャコバン・ブランキスト型のそれとは全く異なった組織型を創造する。
  レーニンは、その著書で次のように言うとき、このことを軽視しているように見える。すなわち、革命的社会民主主義者は、しかし、「階級意識あるプロレタリアートの組織と不可分に結ばれたジャコバン主義者」そのものである、と。レーニンは、ごく少数者の陰謀に対立する、プロレタリアートの組織と階級意識に、社会民主主義とブランキズムとの間にある根本的な相異のモメントを見ているのである。だが、かれは、それに伴って組織概念の完全な価値転換が、中央集権の概念には全く新しい内容が、組織と闘争の相互的関係については全く新しい見解が 与えられることを忘れている。
 ブランキズムは、労働者大衆の直接的階級行動を考慮に置かず、従ってまた、それは大衆組織を必要としない。それどころか、広範な人民大衆は革命の瞬間になって初めて戦闘場裏に登場されるものとされ、しかも、事前の行動といえば、ごく少数者による革命的奇襲攻撃の準備というに尽きた。それゆえ、この一定の任務を託された人々を人民大衆から鋭く分離することが、彼らの任務達成のために、まず要求された。しかし、そうした行動が、可能であり、実行されえたのは、ブランキスト的組織の陰謀的活動と人民大衆の日常生活との間には、 全く何一つの内的連関が存在しなかったためである。
 それと同時に、戦術や活動の細やかな任務も、それらのものが基本的な階級闘争の基盤との関連なしに、任意に、小手先で即製されたので、予め細部まで仕上げされ、一定のプランに固定され、決定されていた。それゆえ、組織の活動メンバーは、当然、自己の活動分野外で、予め決定された意思の純粋な実行機関、中央委員会の道具に成り変わった。それに伴なって、また、陰謀家的中央集権主義の第二のモメントが与えられた。すなわち、党の個別機関がその中央機関に絶対的盲目的に服従すること、並びに、この中央機関の決定的な権能が党組織の最外縁部まで波及伸長されること、である。
 「社会民主党の行動の諸条件は、これと根本的に異なっている。その行動は基本的な階級闘争から歴史的に生れる。その場合、この行動は、弁証法的な矛盾の中で動いてゆく。すなわち、プロレタリアの軍隊は、この時、闘争そのものの中で初めて生み出され、闘争の中で初めて闘争の課題を明らかに悟らされる、ということである。この場合、組織と啓蒙と闘争は、ブランキスト的運動の場合のように、切り離され、機械的に、また時間的に分離されたモメントではない。それらは、同一の過程の異なった諸側面であるにすぎない。
 一面からいうと、―闘争の一般的な諸原則はさておいて―準備を整えられ、予め確定され、細目を決められた闘争戦術、が一中央委員会が社会民主党員たちに叩き込み得るような、そういう闘争戦術というようなものは存在しない。他面、組織を創り出す闘争の過程が、社会民主党の影響範囲の絶え間ない変動を条件づける。
 このことから、直ちに結論されるのは、社会民主主義的中央集権は、その中央権力への党の闘士たちの盲目的な従順さ、機械的な服従を基礎とし得るものではないこと、他面、既に確固たる党活動家へと組織された階級意識あるプロレタリアートの中核と、既に階級闘争に捉えられ階級的啓蒙の過程の中に置かれている周辺的層との間には、絶対的な隔壁は設けられえないこと、である。
 それゆえ、この二つの原則、―皆に代って考え作り出し決定するような一つの中央権力の下に、党組織の全てが、その活動のごく細部までをも含めて、盲目的に服従すること、並びに、レーニンによって弁護されているように、党の組織された中核をそれを取り巻く環境からきびしく峻別すること、という二つの原則に基づいて、社会民主党内の中央集権を作り上げることは、われわれには、ブランキスト的な陰謀家サークルの運動の組織原理を、労働者大衆の社会民主主義的運動へ機械的に飜案することである、と思われる。
 おそらく、レーニンは、自らの「革命的社会民主党員」を「階級意識ある労働者の組織と結合されたジャコバン主義者」と規定したとき、自己の立脚点を、かれの敵たちの何れかがなしうるよりも、はるかに鋭く認めていたことであろう。
  しかし、実際には社会民主党は、労働者階級の組織と結合されているのではなく、労働者階級それ自身の運動なのである。それゆえ、社会民主主義的中央集権主義は、ブランキスト的中央集権主義とは、本質的に異なった状態であらざるをえない。
 この中央集権主義は、労働者階級の個別的グループや個別的な個人とは対立する、労働者階級の啓蒙された闘う前衛の意思の絶対的集中以外の何ものでもありえない。それはいうなれば、プロレタリアートの先導的層の「自己中央集権主義」であり、それら先導的層自身の党組織内での多数支配なのである。