経済学は科学的解明の最も進んでいない分野かもしれません。人間の“意志”の含まれている人間社会に付いての分野からだと思います。最も、資本論を科学的論理と考えているなら話は別です。既に経済学は解明されていると言う事に成ります。
私自身、経済学に付いては自信が有る分野では有りません。どちらかと言えば、歴史学や文化人類学的分野に親しみを持って来ました。基本的問題についての知識は有ると考えて来ました。経済学的論理は、確率統計学的に理解する方法論です。銀行システムに付いての理解は、その突破口として見ています。
切っ掛けは1冊の書物からです。エドワード.グリフィン「マネーを生み出す怪物―連邦準備制度という壮大な詐欺システム―」草思社。
私の経済学的知識は“資本論”的縛りが強すぎました。イデオロギーを離れても、古典主義経済学には抵抗感があり、ケインズ経済学にはもう一つ理解が足りず、科学的とは思えないで来ていました。統計経済学的理解と言う方向性は有りましたが、具体的切り口は見出せませたとは言い切れないで居ました。
社会学を文化人類学的切り口で理解しょうと考えて来ました。従って、経済学的方向性は複雑系の科学として、確率的統計的論理に成るのではないかと考えました。しかし、統計的データの理解が足らず、論理をまとめるには、未だ遠い道のりと理解していました。
古典派経済学と同様程度(表面的)にはケインズ経済学にも知識は有りました。日本銀行が株式会社であると言う事に付いても知識として有りました。日本銀行券と政府紙幣と言うものに付いても、知識としては有りました。その違いがどの様なものかに付いての認識は有りませんでした。銀行の支払準備金制度や銀行貸し出しのシステムに付いての知識は有りました。銀行がお金を創り出すシステムであると言う認識は足りませんでした。現代が電子マネーの時代であると言う知識は有りましたが、電子マネーの意味する状況は正しく認識出来ていませんでした。
ロボットが生活の中に浸透して来つつあると言う点での知識は有りましたが、将来の見通しに付いては具体性を持った認識では有りませんでした。
陰謀論というものに付いては、科学的論理とは異なると言う事から出来るだけ離れた地点で見ていたようです。しかし、経済学にはある種の“恣意性”と言うものが付いて回るものではないかと考えています。経済学は或る意味政治そのものであるからでしょう。
エドワード.グリフィンは著書で、FRBを壮大な銀行カルテルと論じています。当初、銀行カルテルの意味が理解出来ませんでした。ヨーロッパでは国民国家以前に銀行システムが先に存在していたのです。貨幣は統治者が発行するものと言う日本的理解が禍していたようです。
銀行システムに内在して、銀行の貸し出しは、預金者の預金額の千倍近い金額を貸し出していると言う点が、理解出来ていなかった様です。事故が発生して預金者の銀行引き出しが殺到すれば、システム上応じ切れない事が理解出来ていなかったのでした。
アメリカ合衆国創立以来、誰が貨幣を発行するかと言う点での論争が有った点に付いての理解が有りませんでした。ウッドロウ.ウイルソンの時代にFRBが作られたのである事、其れを誰が望んだのであるかと言う事、その後何が起きたので有るかと言う事に大変興味を覚えました。
改めてネットサーフィンを試み、多くのHPと出会いました。アーロン.ルッソのドキュメンタリーの乗っているHP「日本人が知らない恐るべき真実」やコロンビア大学教授ステグリッツの講演“日本政府は財政財源調達の為「政府紙幣」の発行に踏み切るべきだ”と言う発言が平成十五年四月十四日日本経済新聞社、日本経済研究センター共催で行われた事も現在では理解しています。その他多くのHPや著書と出会いました。
現在的には銀行システムに付いての更なる知識を得たいと思っています。インフレやデフレのメカニズムに付いて、多分、統計的確率的制御が可能であると言う人達が見つかりました。遠回りでしたが、我が意に沿った方向性が見えて来た様な、そんな気分で心が弾む気分です。