「既に、社会民主主義的中央集権主義の根本的内容をこのように検討すれば、今日、ロシアではまだこのことのために必要とされる諸条件が完全な程度には与えられていないことが明らかとなる。それは、すなわち、既に政治闘争で教育されたプロレタリアの相当数の層の存在、ならびに、影響を直接的に行使することを通じて、それらの層の自由裁量能力を与える可能性、である。
後者の条件は、明らかに、ロシアの政治的自由に伴って初めて創造され得る。しかし、前者―プロレタリアートの階級意識を備えた批判能力ある前衛の育成―は、今まさに生まれつつあるところであり、直接的な扇動者活動および組織者活動の主導的目標とみさねばならない。
ロシアには、大きな、極度に中央集権化労働者政党を実現するための前提条件が既に存在しているという、レーニンの倒錯した確信には、一層驚かされる。そして、彼が、今や既に、「ロシア社会民主党内の、プロレタリアではなく、多くの学者先生たちは、組織と 規律の精神において自己教育が迫られている。と楽観的に呼号し、プロレタリアート を生まれながらにして、「規律と組織」にかなうように成熟させる工場といううものの、 プロレタリアートにとっての教育的な意義を賞賛する時、そこにまたしても、社会民主 主義的組織についての、余りに機械的な一見解が示されている。
レーニンのいう「規律」は、決して、単に、工場によっても、兵営によっても、また、近代的 官僚政治によっても、すなわち、―中央集権化されたブルジョア的国家の全体的 メカニズムによって、プロレタリアートに叩き込まれ得るものではない。しかも、指揮棒に 連れて機械的に運動をする、多手多足の肉塊の無意思・無思考性と一つの社会的 階層の意識的な政治行動による自発的な協調、抑圧された一階級の盲目的従順と 解放のために闘う一階級の組織された反乱、というような対立する二つの概念を、 等しく「規律」と名付けるならば、それは、スローガンの不当な濫用以外の何もの でもない。
資本主義的国家によって、叩き込まれた規律に関連付けることによってではなく ―ブルジョアジーの手から一つの社会民主主義的中央委員会の手へと指揮棒を 置き換えることによってではなく、この奴隷的な規律精神を打破し、根絶する ことによって、初めて、プロレタリアは、新しい規律―社会民主党の自発的な 自己規律へと、教育され得るのである。(ローザ・ルクセンブルグ ロシア社会民主党の組織問題)
このレーニンの「規律」に対する捉え方こそが、コミンテルン型の共産主義運動を 誤った方向に導いた元凶ではないだろうか。そして、それに基づいて建設された 「社会主義」なる物は、「つまり、要するに同族政治なのだ―独裁には違い ないが、しかし、プロレタリアートの独裁ではなく、一握りの政治家たちの独裁、 つまり全くブルジョア的な意味での、ジャコバン支配のような意味での独裁 なのである。」(ローザ・ルクセンブルグ ロシア革命論)。
この規律に対する捉え方で「皆に代って考えを作り出し決定するような
一つの中央権力の下に、党組織の全てが、その活動のごく細部までをも含めて、
盲目的に服従すること、ならびに、レーニンによって弁護されているように、党の
組織された中核をそれを取り巻く環境から厳しく峻別すること、という二つの
原則」(ローザ・ルクセンブルグ ロシア社会民主党の組織問題)で党を組織
したために、労働者階級のための職業革命家が労働者階級の上に立つ
党官僚と化し支配階級化していく結果をもたらしたのではないだろうか。
この党官僚が人民の権力ではなく、新たな支配階級でしかなかったことが、
ソ連を含む東ヨーロッパの「社会主義」政権が崩壊したのではないだろうか。
日本共産党も、同じ組織論に立っている限り同じ結果しかもたらさないだろう。
最後に「スパルタクス団は何を求めるか」を引用して今回の投稿を終える。
ローザとレーニンの規律や社会主義に対する違いが現われていると思う。
「社会主義社会の本質は、勤労大衆が管理される大衆であることをやめて、 政治、経済生活の全てを自らのものとして生き、自ら自覚をもって自由に決定 しながら進めていくところにある。」
「プロレタリア大衆は、資本によって生産過程にはめ込まれた死せる機械で あることから、自分で考える自由で自立した生産過程運営者になることを 学ばなければならない。」
「彼らは、企業の鞭とは無縁な勤勉さを、資本主義的奨励とは無縁な最高の 能率を、束縛とは無縁な規律を、支配とは無縁な秩序を発展させなければならない。 全体の利益を目指すこの上なく高い理想主義、厳しい自己規律、大衆の真の 市民意識こそは、社会主義社会の道徳的基礎である。」
「スパルタクス団は労働者大衆の上に立って、または労働者大衆を踏み台に して権力を握ろうとする政党ではない。スパルタクス団はただその目的を最高に 確信する労働者階級の部分にすぎない。それは革命の全ての段階で社会主義の 究極目的を明示し、また全ての民族的問題の中で、プロレタリア世界革命に 役立つものを明確にする。
スパルタクス団はドイツ労働者大衆の圧倒的多数の疑うべくもない明白な 意思表示によって支持され、スパルタクス団の理想、目標、戦術が大衆によって 意識に受け入れられるのでなければ、決して政治権力を掌握しようとは 思わない。
プロレタリア革命は、闘争によって、一歩一歩とゴルゴダの道を、労働者自身が 敗北と勝利のにがく苦しい経験をなめつつ辿っていくことによって、はじめて 明確になり、成就されるのだ。
スパルタクス団の勝利は革命の初めにではなく、その終わりにある。 それは幾百万の社会主義労働者の偉大な勝利と全く同じい。」