前稿で書きました通り哲学論争は始めが有って終わりが有りません。従って、 スペンサーやヘッケル等の哲学者の論理を引き合いに出されても、私は論理には 加わりません事を、始めにお断りして置きます。論争の判定者はさつきさんであ り、私であり、読者の方々です。議論はする事でより深まりますが、終わりが有 りません。出来るだけの努力は致します。
「進化論的発展論」に付いてのお尋ねでした。――より詳しくは私のブログ「感 性文化」に於いて“科学的文明論”と名付けて論じて来ました。未だに全てを論じ 尽くしては居ませんが、採り合えずの方向性は書いた積りです。
要約すると、人類文化の風土への適応による進化と言う事に成ります。スペン サー、ヘッケルとは無関係です。科学的事実の証明を前提に書きました。日本文 化の発展方向とヨーロッパ文化の発展方向との違いを解明し、其れを夫々の鏡と して文化の違いを探ろうと試みています。現在の所、ヨーロッパ文化を“対話文 化”、日本文化を“感性文化”と規定しています。言語的発展の違いから、現在ま での発展の方向性を求めて行きたいと考えています。
風土に適応した生活文化が、言語文化にどの様に影響したのかと言う点に焦点 を合わせ、インドヨーロッパ語文化の特徴を探ったものです。インドヨーロッパ 語族文化の共通した文化を探り、インドアーリア語、ギリシャ語、現代―古代 ヨーロッパ諸言語の特徴から、事実と概念の認識方法の特徴を指摘しています。 マルクス、エンゲルスの唯物論に付いても、本来、“概念”であるべき事象が、現 実に存在している様に、事実と概念の混同が見られるとする論理です。
アインシュタインの相対論に付いても、時空間理論は概念と事実の混同ではな いかと言う認識を提示しています。
無論、これ等の論理が学会等で認められたものでは有りません。私の説と言っ て良いかどうかも不明です。現在の所、私以外には同じ様な主張を知りませんの で、私の主張とさせて頂きます。以上が私の科学的解明途中の概要です。
科学と哲学との違いに付いてのお尋ねです。――私の説から言いますと、哲学は インドヨーロッパ諸言語文化に表れた特殊な文化様式ではないかと考えていま す。他の文化には現れなかった文化要素です。自然観的認識を基にして、感覚的 認識を越えた“理性”と言う概念から自然を分析、論理(言語的論理)によって世 界を理解しようとしています。漢字文化圏では事実を基にした認識でした。倫理 観である儒教的論理も、中国大陸の農耕文化の特徴である、大家族的文化から原 型が作られているようです。此れを“感性文化”と名付けてみました。
日本文化にも共通点が有ります。日本文化が作り上げた感性文化としての“万 葉集”、“源氏物語”、“徒然草”等の感性的文学は、日本的感性を現代まで繋いで いる、日本の誇るべき感性です。言うまでも有りませんが、感性文化と対話文化 との間に上下関係は有りません。風土に適応した生活文化の中から生み出された 人類文化です。
ヨーロッパ人にも日本人にも共通した感性は存在します。しかし、風土によっ て、自然の感じ方は異なる事が異なる文化を生み出し、ヨーロッパ文化と日本文 化が接触する事で、人類文化はより豊かな文化を築き上げて来たと考えていま す。今後に付いても感性文化は日本文化に係らず、世界の文化と重層しつつ、更 なる発展が期待されます。
前書きが長くなり過ぎたようですが、全体を理解して頂くには良いのではない かと考えています。科学の誕生は、幾つかの条件が有ったと思います。キリスト 教的世界創造観、神の創造された世界に対する神の意思“神の法則”から“自然法 則”、“科学法則”へと認識されていったと思います。プロテスタンチズム、神と の対話が教会を通した理解から、個人と神との直接対話に変り、個人が神との対 話を始めた事、此れが神の意思を探る行動となったと思っています。ヨーロッパ での富の蓄積、産業の発展により、古代以来の知識がヨーロッパに集積される様 になった事。(特にギリシャ.ローマの知識、イスラム的発展を吸収した事)等 が特に認められます。これ等の状況は、技術、望遠鏡や精密機械の製作技術の発 展の中で、ガリレオやニュートンの様な敬虔なキリスト者の中から、神の意思、 神の法則を探る動きが始まっていた。彼らは、科学法則を探ったのではなく、神 の意思としての神の法則を探っていたのだと思います。ガリレオは敬虔なクリス チャンだった。ニュートンは宗教学者だった。
要約ですが、科学はこの様にして生まれ出たものと思います。学者の中には、 西洋の科学、東洋の科学と言う振り分け方が横行しています。科学“哲学者”に多 い様に思えます。私は、経験的知識と科学的知識とを分けています。此れは私の 専売でない事は明らかです。
従って、科学の誕生に対して誰を最初と言う点に付いては、残念ながら言う事 が出来ません。歴史的に言う事が出来るかどうか解りませんが、西洋では科学の 誕生以前は哲学的知識によって世界が認識されていたものと思います。
唯物史観が科学と言う点に付いてです。私は科学ではないと理解しています。 マルクスの事跡に付いては人類の歴史の一場面としての理解があります。マルク スの事跡は、工業化社会に発展した人類が、困難な経済社会から如何にして開放 されるかと言う命題に付いて、生涯をかけて取り組んだものでしょう。当初、マ ルクスは学生時代にはヘーゲルの唯物論的観念論と言う哲学を学んでいたようで す。其処から、当時の科学的知識の増大に焦点を合わせ、客観性を以って社会を 理解しつつ、フランスに起こっていた階級的運動と哲学的論理とを組み合わせ、 社会を科学的に理解しようと考えたものと思います。
不幸な事は、当時、哲学と科学の違いに付いての理解が進んでいなかった事で した。マルクスは客観的リアリティーによる視点によって、人間社会を理解しよ うと考えました。社会を法則的に、捉え様としたのですが、その方向性は良かっ たのだろうと思いますが、その基点と成る史的唯物論、唯物弁証法と言う“概念” は、ヨーロッパ文化に内在する事実と概念とを混同する性質がある、と言う点に 付いての理解が出来ていませんでした。(私の説。)
更に不幸だったのは、経済を人間生活の土台と考えた事でした。私も人間生活 の土台が経済生活にあるとは思いますが、経済生活のみが人間の唯一の土台とは 考えていません。人間は失恋して命を捨てる事も有りますし、生きて行く為には 辛い生活から救いを求めて宗教的世界観を、哲学的世界観を、倫理的世界観を求 めて行動を起こします。人間には誇りと言う価値観もあるでしょう。全ての切っ 掛けは経済に求めるには無理が有ります。
この事は、人間に対する社会主義と言う哲学の押し売りとも成ります。人間を 特定の社会を押し付けることになります。人間には夫々の哲学や倫理観、宗教、 そして個としての誇り、意思(意地なども含み。)があります。其れをまとめて 一つの世界観の中に規制していいものでしょうか。階級と言う概念によって、政 治的に個々人を強制していいものでしょうか。
もう一つ、階級と言う概念です。インドヨーロッパ語族には、インドのカース ト制、アメリカの奴隷制、南アメリカのアパルトヘイト、オーストラリアの白豪 主義、ギリシャ.ローマの奴隷制等々、階級的社会でした。其れは特殊な文化で す。東洋にも奴隷性的状況がまま有りましたが、文化的というより政治的制度と 言えるでしょう。中国儒教文化の中に現れる、人食い的文化は有りますが、此れ は特殊です。常に人間を人間が食べるのではなく、特殊な状況下に於いて現れる 習慣です。日本にも“奴碑”と言う存在がありましたし、人買いと言う習慣も有っ たようですが、ヨーロッパ的状況とはかなり異なります。ヨーロッパ文化では牧 畜や遊牧的社会関係が現れているようです。階級的に人間として扱わない文化が 有るようです。
私は、ヨーロッパ人の思い描く階級意識と、日本人の思い描く階級意識との間 には、大きな齟齬が有ると思います。ヨーロッパ文化的、東洋的文化的にして も、階級闘争が人間文化を発展させて来た動因と考えるには無理が有りますし、 私個人の動因はむしろ社会主義社会を拒否すると言う動因も有ります。付け加え ます、労働組合運動を否定しては居ません。生活格差から来る社会運動は、その 要求によって結束して行動する事は、人間の知恵から来ています。
将来の哲学の発展に付いて言います。既に哲学的論理は、科学的論理によって 追い抜かれています。改めて哲学的論理を使わなくても、科学的論理のみで物事 を論じ合えます。私的には始めから“確かめる事”を前提にしない論理は有害で す。理由は、長々と論じてきたインドヨーロッパ諸言語的“対話文化”的性質は、 ヨーロッパの文化の特性から来ていると思うからです。別の言い方からすると、 哲学は“確かめる”と言う、確実な論理とは性格を異にしており、哲学の終着点は 存在しては居ません。せいぜい、より多くの賛同者によって維持されて行くのみ でしょう。
哲学によって論理だてられた社会主義と言う論理を、政治的現実にする事は、 人間個人を政治的に強制することです。マルクスは民主主義的方法論は主張して はいません。マルクスの主張した民主制は階級内の民主制であって、全ての民主 制ではなかった筈です。今日の共産党もこの点に付いての主張は曖昧にしていま す。労働者の独裁と訳されて来たものを労働者の執権と訳し直したのも、民主主 義の使用方法の特殊性から来ています。日本共産党の主張する多数者革命論に於 いても、個人の強制である事には変わりが有りません。