一冊の本の紹介「円の支配者」――此処に紹介するリチャード.ヴルナー「円の支配者」草思社は、所謂、主流派の経済学者の書物ではない。1967年ドイツバイエルン州生まれ、英国オックスフォード大学大学院過程を経て、東京大学大学院で経済学を専攻、1989年ドイツ銀行証券会社、1990年野村證券総合研究所経済調査部勤務の後、1991年日本開発銀行設備投資研究所で初の「下村フェロー」に。91~92年オックスフォード大学経済統計研究所の研究員として、日本銀行金融研究所及び大蔵省財政金融研究所で研究を重ねる。94~98年ジャーデイン.フレミング証券(アジア)のチーフエコノミスト97年より上智大学講師、98年プロフィット.リサーチ.センターを設立。取締チーフ.エコノミスト。2001年財団法人電気通信共済会の資産運用委員会委員。2003年世界経済会議(通称ダボス会議)ではGloval Leader for tomorrowの一人に選ばれた。
上記に同氏の経歴を長々と書いたのは、日本人は経歴でその人の発言内容を感じ取ると言う、日本人特有の性質がある点を考慮して、「円の支配者」の裏表紙から抜粋してみた。
同氏の特徴はドイツ、イギリス、日本が活躍の場である。特に日本の不況“失われた十年”をよく研究している。通常遅くても、5年位で景気回復に至るのを、日本の場合、世界の謎と言われる様に長期不況が続いたもので、その謎に付いて多角的に追求して来た。同氏がドイツ人である点が日本の中央銀行としての日本銀行研究に役立っている様に思える。
同氏の代表作「円の支配者」(英語訳Princes of the yenとしてアメリカで出版予定。)は、日本銀行には代々プリンスが存在したと言う発想に有る。大蔵省出身の日本銀総裁とは別に、発表された(表に出た政策。)された日本銀行政策とは矛盾する行動が有ったのではないかとする内容がある。大蔵省から送り込まれた総裁とは一線を画し、日本銀行の政府からの独立を求め続けて来た歴史がある、と分析されている。政府大蔵省は失われた十年の間、合計146兆円もの財政出動を実施して来た。金利も下げて需要の拡大、設備投資の増進に努めて来た、円の量的拡大にも力を入れて来た。政府大蔵省の対策は尽く失敗に帰した。しかし、日本銀行営業局長を握って来た日本銀行の代々のプリンスたちは、この政策を無にする様な政策を続けて来た可能性に付いて、ヴぇルナーは指摘している。
日本銀行総裁は日本銀行生え抜きの総裁と、大蔵省出身の総裁が交替して役に付いて来た。此の日本銀行営業局長(日本銀行のプリンス。)は、前日本銀行総裁との関係は強く残り、此のプリンスと前総裁の連携的操作によって、大蔵省出身の総裁は実質埒外に置かれて来たのではないかとしているのである。
現代改正日本銀行法は、その目的には“物価の安定”以外には無くなってしまった。以前の日本銀行法には“物価の安定と共に、政府の政策との整合性が記されていたのである”
この様な中央銀行の有り方は日本銀行のみではなく,EU 欧州中央銀行に於いてもその様に変わって来た。その他、韓国や、タイ中央銀行でもその様な改革が、大きな問題とならずに改革されて来た。
ノーベル経済学賞は、実はノーベル賞とは直接には繋がりが無い。ノーベル賞の後ノーベル記念スエーデン中央銀行賞として発行される様になった物で、ノーベル家は快く思っていないと聞く。多くの受賞者は所謂シカゴ学派(古典経済学派)を中心に受賞者が出ている。古典経済学派の権威付けに利用されて来た嫌いが有る。
最近の各国中央銀行は、此の古典派経済学はが中心で、其処から出たケインズ学派も関連している。日本の失われた十年はこれ等の論理でも回復が出来なかった。其処で、構造改革が必要と言うのも。各国皆同じ様な政策が進められているのである。
構造改革の柱は“自由化“である。直接金融から間接金融への切り替え政策を伴って来ている。日本の右肩上がりの時代は、皆、直接金融、つまり、銀行貸し付けによって拡大して来た。構造改革の一つに、間接金融としての株式市場や債権市場の整備、此れが重要な役割を果たして来ている。
リチャード.ヴエルナーはこの事を注意深く分析して、日本銀行の影の部分での役割を、決定的問題として浮き上がらせた。景気浮上には“信用創造”が決定的に重要な役割を持っていると。日本銀行のプリンスから日本銀行生え抜きの総裁へ、又大蔵出身の総裁を除き、新たな日本銀行プリンスに引き継がれて来た、日本銀行窓口規制の方策は、どの様な政策を表面的に進めても、日本銀行営業局プリンスの方策が、日本の決定的状況を支配して来たと考えている。
この方法は第二次大戦前にドイツ中央銀行によって確立され、大戦直前に日本にも取り入れられて、戦中、戦後、の復興期まで、バブル崩壊まで機能して来た。失われた十年は、此の流れが、欧米財界人のコミニュケイションの場((ダボス会議や、三極委員会の会議によって)で次第に強くなり、各国金融政策の主流に躍り出て来た。突出して来た経済力を持つ経済国と先進国の調和を目指す方向性を重視する方向へ、会議のコミニケイションを誘導している人達が存在している様にも見える。 続く