「社会民主党の闘争戦術は、その基本的諸傾向の点では、一般に「発明」される ものではない。それは、実験的な、しばしば基本的な階級闘争の偉大な創造的 諸行為の持続的なつながりの結果なのである。」
「如何なる時にも、社会民主党にとって重要なのは、将来の戦術のために 出来合いの目論見を予め考え、立てることではなく、当該の支配的闘争諸形態に 対する正しい歴史的評価を党内で生き生きと保ち、プロレタリア階級闘争の終局 目標の見地から、闘争の所与の局面の相対性ならびに革命的諸モメントの 必然的昂揚に対する生きた感覚を持つことである。
しかし、レーニンが行なうように、否定的性格を持つ絶対的権能を党指導に 付与するならば、それは、その本質からして必然的に発生する、あらゆる党指導の 保守主義を、まったく人為的な仕方で危険なほど強めることになろう。
社会民主主義的戦術が、一中央委員会によってではなく、全党によって、 より正しくは、全運動によって創造されるのであるとすれば、党の個々の組織には、 明らかに、行動の自由が必要なのであり、その自由のみが、当面する状況によって 提示されるあらゆる手段を闘争の昂揚のために徹底的に駆使し、また、 革命的イニシアチブの展開を可能にするのである。しかし、レーニンによって推奨された 超・中央集権主義は、その全本質において、積極的創造的な精神ではなく、 硬直した夜警根性によって支えられている、われわれには思われる。
かれの思考の過程は、党活動の結実ではなくて主としてその統制に、その展開 ではなく制限に、運動の結集ではなくその締め上げに向けられている。」 (ロシア社会民主党の組織問題 ローザ・ルクセンブルグ)
「現実に革命的な労働運動が現実の中で行なう誤りは、歴史的には、最上の 「中央委員会」の完全無欠に比べて、計り知れぬほど実り豊かで、価値多い。」
このローザが超・中央集権主義と批判した規定をさらに強化し、党内での
批判の自由や党内民主主義を決定的に破壊したのは、第10回ロシア共産党大会
最終日3月16日にレーニンが提出した「党の統一について」の決議です。
この第7項は、「党内に、また、ソヴィエトの全活動のうちに厳格な規律を打ち立てる
ため、また、あらゆる分派形成を排除して、最も大きな統一を成し遂げるために、
大会は、規律の違反とか、分派の発生や黙認とかの場合には、党からの除名を含む
あらゆる党処罰の処置をとる。また中央委員については中央委員候補に各下げ
するとか、非常処置としては党から除名する全権を中央委員会に与える」という
ものだった。
つまり、党大会で選出され、党大会でしか各下げ、除名できない中央委員に
対する処分権を中央委員会に与えるという規定です。
レーニンは、党内での批判の自由と党内民主主義を否定する方向にさらに
一歩踏み出した。
レーニンはこれを、大会以外への公表を禁じ「秘密条項」とするように提起した。
レーニンがこれを「秘密条項」としたのは緊急の一時的なものと考えたのかも知れない。また、この規定に対するためらいがあったのかも知れない。
しかし、レーニン死後スターリンは、この規定を公然とした恒常規定とし、さらに書記局に全権を集中させていった。
そしてこれがコミンテルン型のの各国共産党に適用されていった。
この経過から見て、民主集中制は科学的社会主義に常に存在した普遍的な組織原則とは言えないのではないだろうか。