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共産党と理論闘争080630

2008/6/30 灯台守

 理念を主張すると当然の事、互いに論理の違いによって論争が引き起こされ る。共産党の歴史を書くなら、此の理論闘争を無視して党史は書く事が出来ない であろう。

 処で、論理と言うのは科学の様に確定出来ない。従って、真偽ではなく正偽を 論ずる以外には無い。基準が無い以上基準を作る必要性が有る。共産党の規約綱 領が其れに当たる。日本共産党では以前、マルクスレーニン主義と決めていた が、現時点では此れを科学的社会主義と言い換えている。

 マルクスは空想から科学へと言っている。マルクスは科学を求めた事は間違い ではないであろう。其れに従えばマルクスレーニン主義は科学ではなくてはいけ ないのである。

 しかし、マルクスもレーニンも科学では無かったのである。科学を主張しつつ 哲学を論じ付けたと言う間違いを引き起こしてしまったのである。不幸な事だ。

 共産党は、不破氏の時代に“マルクスレーニン主義”を“”科学的社会主義に書き 換えた。残念な事に書き換えたら科学に成ると言うものではない。

 理念(哲学)は理論闘争によって、理論の範囲をより狭めて行く性質が有る。 どなたかが書いていたが、日和見主義批判と言うレッテル張りが行われた。此処 でも共産党は論理の幅を狭めていった。

 過って、上田不破兄弟は“構造改革論”という理論闘争に巻き込まれて、宮本氏 から批判を受け逼塞を余儀なくされた一時期がある。ヨーロッパで構造改革論争 は勝利したが、日本では原則が勝利した。其処でも理論の幅は狭まれて言った。 共産党は自ら論理を確立する為に、論理の幅を狭め、より多くの結集を困難にし て行った。

 同であろう、何処かの時点で此のジレンマを断ち切り、マルクス本来の夢、科 学的論理に移行すべきであると言う考えになれないものだろうか。無理だろう か。