未熟であった戦前のマスコミは、弱腰外交をあおり世界情勢を正しく伝えて来ませんでした。現在のマスコミと同じく、政治家や官庁に出入りし官僚と癒着して来ました。
一見、政治家や官僚の腐敗を叩いている様に見えますが、其れはほんの一部であり政治家や官僚組織のリークが、発端である場合が多いのです。
現在に至っても、外国には類を見ない記者クラブ制度は、政治家官僚との癒着の温床でしょう。報道記者が自ら問題を掘り起こし、社会に問題提起しょうとする力を萎えさせて来ました。
報道機関が官庁機関の発表する情報に反応して、流れ作業で行動しています。或る意味で官庁特に公安関係の一端を担う、公報、言い換えると、教宣機関の下請け的存在になってきてしまった、と言えるかも知れません。
日本の現状は、一番知りたい問題が知らされなかったり、捻じ曲げられたりして来ました。
共産党機関紙しんぶん赤旗は、共産党の持つ“理念”の誤りから、経済的格差の低い人に対する視点が、常に、対処療法的政策の提示に終始して来ました。しんぶん赤旗を見る人々は其れに成らされ、表面的味方である事に安堵するのみです。
共産党の国民に提示して来た解決策は、“社会主義革命”のみでは有りませんか。現実の問題を、基本的段階から解決しょうとする政策提示は、あったでしょうか。
現代のマスコミ人も同じ誤りに陥っています。左翼か又は右翼か其れとも中道か。問題解決を右翼左翼の間に相対化して考えます。気が付けば、何も存在していない事に気付く筈です。
百年論じてきた事に惑わされずに、自分自身で考え行動を起こすべきでしょう。“理念”に踊らされる事なく、実際に解決する為に摸索すべきです。
軍備を持てば戦争に成るのでは有りません。持たなかったら戦争は無かった訳でも有りません。歴史は理念で決定してきた訳ではなく、スイスの永世中立は人間の決意によって守られてきた筈です。人間にも握り拳や足蹴りと言う暴力手段はあります。私は小学生の時を除き、暴力は行使して来ませんでした。暴力は良くないと言う“理念“ではなく、良い結果が無かったと言う経験からでしょう。
マスコミ報道の報道しない部分は、我々自身の知性が補わなければならない事態です。知性が試される時代なのだと思います。情報化社会とはそう言う時代です。