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一般投稿欄

北京オリンピックから連想したこと

20008/9/12 青太郎 60代

 巨大なムダと環境破壊、そして国威発揚の場でもあるオリンピックに疑問を もっている私は、北京オリンピックで日本がどれだけのメダルを獲得しようが大 して関心はない。女子ソフトボールの優勝戦だけはテレビで観戦してそれなりに 楽しんだが、その他の競技はまったく見なかった。むろん開会式の過剰な演出を 凝らしたセレモニーなど見る気もしないのだが、一般紙などを拾い読みしている と、開会セレモニーで何かを歌った少女が共産党幹部の指示でで口パクだったこ とが暴露されたり、同じく少数民族衣装で登場した演舞者集団が、実は漢民族で 構成されていたことなど、とにかく大国としての外見だけを重視する中国政府の 事大主義などが伺えて、むしろそっちの方がおもしろかった。
 純粋に肉体の極限に挑むアスリートの姿は美しいが、オリッピックを政治プロ パガンダとしてしかみない中国政府の傲慢ぶりは、例えば、巨大なオリンピック 競技場や都市基盤整備のために、何万もの自国民を居住地から追い立てて、彼ら の土地を強制接収することも厭わないことにも現れている。こうした中国の巨大 イベントの影ともいうべき国家権力の暴政について、一般紙や週刊誌などでは、 華々しい競技記事の裏面として、それなりに取材し報じていたため、中国という 国の素顔の一部をを知る上では有益だったが、ところが、「しんぶん赤旗」では どうだったのか、というと、私の知る限りオリンピック関連記事では、ついぞこ うした負の部分を掘り下げた記事にお目にかかることはなかった。確かに選手達 の活躍ぶりや、スポーツの持つ爽やかさなどの、上っ面のきれいごとの記事は豊 富に載せたが、日の当たる裏側で起きている矛盾や、発展に取り残された庶民の オリンピック観や、オリンピックとは無縁の地方の人たちの生活ぶりなどの報道 では、一般紙にも遠く及ばなかったといえるだろう。
 チベット人の暴動の時も「しんぶん赤旗」は当局発表の情報だけを機械的に載 せただけだった。こうした事実を見ると、「しんぶん赤旗」の編集方針は、こと 中国関連の情報は、賛美はしても否定的な現実については見て見ぬふりをしてお こう、読者に知らせないでおこうという姿勢で一貫しているように見える。
 これまで「しんぶん赤旗」はどんなタブーにも果敢に挑戦してきた、少なくと も、かって共産党はそう豪語してきたが、いまやその看板の文字は薄汚れて消え かかっていると言わねばなるまい。
 こうした中国関連情報に関する偏向はいつから始まったのだろうか。私は「し んぶん赤旗」と一般紙を購読しているが、研究者でもないからスクラップするわ けでもなく、すぐ忘れてしまうから定かではない。ただ、言えることは1998年の 日中両党首脳会談以降の両党関係の正常化以後ではあるまいか。
 1989年に起きた天安門事件では、確か当時の不破氏だったか志位氏だったか、 厳しい批判を行なっていたように思うが、手のひらを返したように和解して以後 は、不破氏は自ら訪中し大学などで講演して、中国の市場経済を通じて社会主義 へというアプローチを賞賛しているから、変われば変わるものといわなければな るまい。しかし、現在の中国政府は言論や表現、結社の規制など、国家権力によ る統制を緩める気配は微塵もなく、いまだに天安門事件を語ることすらタブーだ というから、言わば市民的自由、基本的人権不在の専制政治体制下での市場経済 であって、しかもその実態たるや巨万の富をもつ超エリートや特権富裕層がいる かと思えば、対極には極貧に喘ぐ膨大な貧民層が居るといった、超のつく格差社 会なのだ。
 これについてはNHKスペシャル「激流中国病人大行列~13億人の医療」 が、次々と医療ビジネスの拡大に突っ走る大病院経営者とそのその高度な医療の 恩恵に浴する一部富裕層がある一方、金の切れ目が命の切れ目の膨大な極貧層が 地方からなけなしの金を懐に、暗いうちから北京の公立病院へ殺到する、そこに は診察券を売るダフ屋までいるといった、信じられない光景を活写していたが、 こんな深刻な矛盾をかかえる中国の市場経済を知ってか知らずか、賞賛する不破 氏の感覚は、とても普通の日本人には受け容れられるものではない。当の中国の 労働者・庶民にとっても外国共産党の賞賛は大迷惑だろう。
 「しんぶん赤旗」のノー天気な親中国ぶりは、核問題のとりあげかたを見ても そうである。確かにアメリカの核先制攻撃戦略は危険であり許してはならない。 だからこれに反対するのは当然だけれども、では規模はアメリカより小さいとは 言え、核ミサイルをもち核原潜を持ち近年増強が著しいと言われる中国のそれは 人類の脅威ではないというのだろうか。原水協や共産党からは声高にアメリカへ の非難はあるけれども、中国のそれへはついぞ聞いたことがない。実体経済は資 本主義国以上の資本主義経済であるけれども、しかし政治体制は社会主義を標榜 する共産党一党支配のもとにあるから、中国の核は平和を守る核とでもいうので あろうか。
 このように「しんぶん赤旗」の、こと中国に関する及び腰の偏向報道は、共産 党の政治方針を基にしているから「しんぶん赤旗」の編集方針だけを批判しても はじまらないが、「しんぶん赤旗」も一応まっとうなジャーナリズムを標榜して いる以上、せめて一般紙程度の掘り下げた中国観とそれに基づく客観報道があっ てしかるべきではないのか、と思うのだ。
 講談社の月間雑誌「現代10月号」の「潜思録」で、辺見 庸氏が次のように書 いている。
 「中国とは、思えば、まか不思議な国である。全身ほぼ完全な資本主義なの に、社会主義を標榜し、孔子をたてまつっているのに、党員数7千3百万人以上と いう世界最大の政党・中国共産党が全土を一党支配し、にもかかわらず拝金思想 がはびこっていて、事実上の資本化がいくらでもいる。マルクス・レーニン思想 を放棄していないが、公害、人間疎外、絶望的なまでの貧富の差、価値観の崩 壊、差別等々・・・資本主義固有と見られていた病理を資本主義以上にもってい る。これはまるで、サルの顔、タヌキの胴体、トラの手足をもち、トラツグミの ような気味の悪い声で鳴くという伝説中の化け物「鵺」である。」と。
 日本共産党はそんな中国共産党と仲良くしていくという。いや別に喧嘩をせよ といっているのではない。相手を客観的に見て、いけないところはいけないと言 えるような付き合い方をしなければ、国民は共産党をいつまでたっても一部の偏 狭な思想の持ち主だけが支持する、特異な政党としてしか見ないと思うのだ。
 中国には中国なりの事情があるにせよ、基本的人権や民主主義といった普遍的 価値観にいつまでも背を向けて、自己変革ができないような一党独裁体制では、 社会主義に至る前ににっちもさっちもゆかなくなって、旧ソ連のように自己崩壊 といったことがなきにしもあらず、と私は思っているのだが、マルクス・レーニ ン主義を基礎とする両国共産党は、民主集中制という鉄の規律があれば乗り越え られるとでも思っているのだろうか。