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「マルクスの革命理論は賞味期限が切れたのか」(2)

2008/11/1 レギオン 60代以上 無職

 ネグリの『マルクスを越えるマルクス』は極めて難解で、十分に理解することは難しい。また、『経済学批判要綱』も入手できず、十分な知識を有している訳ではない。だが、そのような立場からも敢えて推論を下してみたい。ネグリが言うように、『要綱』が革命のテキストであるということは認めよう。そして、恐慌こそがその革命の契機となるべきものであった。その論理が正しいとすれば、現在、まさにその恐慌の予兆とも言うべき金融危機にあっては、革命の予兆とも言うべき、何かが起こらなければならない。しかし、現実には起こっていない。行われていることは、何とか資本主義を維持しようとする各国政府の努力である。マルクス主義の名前を騙り、社会主義を標榜しているはずの中国政府もそれに協調しているのである。
 ここで、しんぶん赤旗の主張から共産党の立場を確認しておこう。「大恐慌から80年目に、歴史の「教訓」を生かしてこそ」と題して、次のように述べられている。

 世界大恐慌のきっかけとなった一九二九年十月二十四日のニューヨークでの株大暴落は、「暗黒の木曜日」として語り継がれています。それから八十年目にはいります。
 米国が震源地になった世界大恐慌は、一九三三年まで四年間も続き、資本主義世界の工業生産は数十%も低下しました。大銀行や大企業を含む企業の倒産・廃業が相次ぎ、世界の失業者は数千万人に達し、都市でも農村でも人びとを塗炭の苦しみに陥れました。  現在、八十年前と同じように米国発の深刻な金融危機の暗雲が地球上を覆い、世界同時不況の懸念が強まっています。欧米でも日本でも株価の下落が続き、ドルやユーロへの不安も強まっています。
 八十年前の歴史の教訓は、世界が大恐慌に落ち込む前に、国際的にも、国内的にも、あらゆる手だてを尽くして、経済的崩壊の被害を最小限にとどめることです。
 八十年前と今日とではいくつかの共通点はありますが、世界経済の歴史的条件は大きく異なってきています。たとえば、世界大恐慌勃発(ぼっぱつ)以前の貨幣制度は国際的に金本位制のもとにありましたが、今日では各国とも金との兌換(だかん)をやめ不換制に移行しています。「資金の最後の貸し手」としての中央銀行制度も確立しています。
 国家財政が経済に占める比重も格段に大きくなり各種の需要喚起策を発動する条件や社会保障の制度も拡大しています。また世界経済が一体化し国連やIMF(国際通貨基金)など国際的な機構や協調体制も発展してきています。
 今日求められるのは、各国政府や国際機関がこうした世界経済の新しい条件も生かして、事態を市場任せにせず、最悪の事態を回避する責任を果たすことです。
 八十年前の大恐慌は、「自由放任」の株バブルが発端でしたが、今日の金融危機は、米国発の「新自由主義」的な金融バブルの暴走が原因です。国際社会が共同して多国籍企業・国際金融資本・投機資本への民主的規制をおこない、「カジノ資本主義」を改革することが課題となっています。
 世界はドル一極体制に代わる新しい民主的なルールある国際通貨・金融秩序を模索する時代に入りつつあります。IMF、世界銀行、WTO(世界貿易機関)などの民主的改革も重要な課題です。
 国連は国際的な公的金融機関のあり方を検討する作業部会設置の方針を決め、今月三十日には金融危機に関する専門家会議を開きます。来月には、金融危機に対応するための国際的なサミット(首脳会議)の開催も予定されています。すべての関係諸国による対話を重ね、民主的な国際ルールづくりをめざすことが必要です。
 国内的にも、八十年前の大恐慌のときとくらべ、さまざまな経済政策の手段があり、それを国民の暮らしと経営に生かす方向で発揮させることが求められます。 銀行の「貸し渋り」や大企業の「労働条件切り下げ」など、金融危機や恐慌の犠牲を勤労者に押し付ける動きは、きっぱりとやめさせなければなりません。 なによりも破たんした新自由主義的「構造改革」路線を転換し、外需頼みでなく内需中心の経済成長の道へ転換していくことです。

 これを読めば分かるように、日本共産党の主張は、金融危機という資本主義の危機に対して、それを何とか立ち直らせようとする資本主義国の努力を追認するものである。不破氏も志位氏も口をそろえて、資本主義は賞味期限が切れたと言っていたはずである。ところがその資本主義が危機的になると、あらゆる手立てを尽くして、資本主義を立て直せというのである。確かに、このまま大恐慌に突入すれば、多くの失業者が生まれ、人々の生活は今以上に苦しくなることは明白である。だから恐らく、多くの人々が今回の事態に対する各国政府の対応に期待せざるを得ないことは事実である。しかし、資本主義の賞味期限が切れたとのたまっていた不破氏や志位氏までがそんな態度をとっていいのであろうか。彼らが本当にそう思っているならば、今回の各国政府の賞味期限の切れた商品の改ざんやラベルの貼替えに等しいと映るはずである。ところが、それを非難するどころか、それをもっとうまくやれと激励しているのである。
 これは共産党の論理の破綻を意味していると思う。今回の金融危機で明らかになったのは、本当の意味での資本主義の危機ではなく、マルクス理論の中心部分なのである。あまり論理的に詰めてはいないが、次回ではそれを手短に指摘したい。